行政書士 みんみんのblog  

行政書士 みんみんのblog  

  人生は山あり谷あり。冒険の旅。
  みんみんから あなたへ贈るブログ ”Life is simple, full of pleasure"

2000年、16年間の専業主婦生活にピリオドを打ち、独立開業しました。

起業してみると、見るもの聞くもの体験する全てが初めてのことばかり。

夢中で学び、必死に努力した11年間でした。
ようやく軌道にのったところで・・・・突然、今度は、アメリカへ。

夫の渡米に伴い マサチューセッツ州ボストンで暮らしました。

事業を中断して渡った米国での暮らしは、見るもの聞くもの体験するもの全てが初めての世界。

2年4カ月をボストンで過ごし、たっぷり異文化体験した後、帰国いたしました。

帰国後、事業を再開。
毎日、新鮮な気持ちで元気にお仕事しています。

日々の感謝をゆるく綴ります。 ~ あなたの笑顔が私の喜び ~ 





№2048

 

先日、

『父の日』ということで、

その前日の土曜日に

久しぶりに、息子一家が遊びにきてくれました。

 

突然、にぎやかになった我が家。

 

オセロゲームをしたり、

黒ひげ危機一髪ゲームでワーワー

 

部屋中、プラレールが走り、

 

皆でお寿司をお腹いっぱい食べました。

 

空手の稽古が翌日に控えていたため、

今回はお泊りなし、ということで

帰っていきましたが、

泊まりたいよ~と駄々をこねてくれましたので

ばぁばは嬉しかったよ!

 

さて、その翌日。

(ここからが本題。

私のブログは前置きが長いですね。

ごめんなさい)

 

日曜日の夜、久しぶりの映画館へ

足を運びました。

 

 

 

 

 

三島由紀夫 vs 東大全共闘 

 

コロナの影響で延期されていたドキュメンタリー映画。

ようやく上映されました。

 

1969年5月13日

東大駒場900番教室。

 

そこへ呼ばれて(!)単身のりこんだ三島。

 

独り vs 1000人 の

 

公開討論会ドキュメンタリー記録フィルム。

 

教室前の立て看には、

筋肉もりもりの三島を揶揄して

  『近代ゴリラ 飼育料100円』

 

すこぶる挑戦的なイラスが描かれていました。

 

著名な作家で、

私的警護団「楯の会」を主宰する三島と、

反体制派の全共闘の学生たち。

 

右翼 対 左翼

保守 対 革新

 

とても相容れそうもない両者で、

公開討論なんてできたのか、

伝説の討論会とは何だったのか、

 

興味津々で見にいったところ、

 

ドキュメンタリーフィルムは、

 

なかなかに真摯で紳士な

白熱した討論会を映し出していました。

 

驚きました。

 

三島がとても誠実に話をしていたし、

 

学生たちもまた純粋な議論を繰り広げていました。

 

 

言葉を発して相手を鏡として自己存在を探り合う、という

純粋な哲学的対話。

 

大変驚きました。

 

中でも、

 

赤ん坊(自分の娘)を肩車し、

表情はヘラヘラしながら、

 

けれども舌鋒鋭く、

 

機関銃のように言葉による実弾を繰り出す、

演劇学生、芥正彦氏は圧巻でした。

 

三島由紀夫との丁々発止の場面。

 

そのかみ合わないところも含めて、

言葉を丁寧に定義しながら、非常に抽象的な論争が交わされていました。

 

それは

ある意味、

立場の対立を越えて

生存の意味を探求する対話となっていたと思います。

 

芥氏は途中でぷいと帰ってしまいましたが。

(そこがまた彼らしくて良かったです)

 

 

「解放区」(学生たちが占拠した空間を当時そう呼んでいました)を

めぐる論争は、

 

「解放区」を論じながらも、

 

ひとが『生きる』という文脈上に現れる“持続する『時間』”や

“『空間』”や

仮想現実、

その意味、などを論じていて、

 

政治闘争というよりは、あたかも

演劇論、芸術論、命題を解く哲学論争

を展開しているかのようでした。

 

この映画作品は、

 

TBSが保存していたフィルムの公開という

ドキュメンタリー映画でしたが、

当時を回顧する者として

学生も

楯の会のメンバーも出演していました。

 

顔ぶれの中に、

現東工大の橋爪大三郎教授。

 

ちょうど数日前、

新聞に

『ヴィトゲンシュタイン』に関する記事が載ったのを

読んだばかりだったので、

若き日の橋爪氏もあの場にいたんだと

何事か、じんと響くものがありました。

 

『社会の根底は言語である。

言語が、物理現象と違ったレヴェルで、

意味と価値の秩序を成立させている。

その上に、

性と家族の領域、権力と政治の領域が張られている。

言語と性と権力の複合として社会をとらえよう。

構造主義やヴィトゲンシュタインが開いた扉の先に進もう。

意味と価値と行為の秩序を漏れなく解き明かし、

社会を過不足なく科学するために』

(6月21日読売新聞 橋爪大三郎氏)

 

あの日の900番教室にいたひとりとして

たぶんその後、学生運動に絶望もしたであろうに

 

以降も世界とのかかわり方を

真摯に問い続けてきた、という生き方。

 

心が震えました。

 

この討論会から1年後、

市ケ谷の自衛隊駐屯地で割腹自殺を遂げる三島。

 

衝撃なニュースは、私が小学校6年生の時のことです。

号外が出ました。

その日のことを鮮明に覚えています。

 

大学時代には、

三島作品についてゼミで仲間と大いに語りあいました。

わかったような、わからないような、

生意気な作品論評会をよく開いていました。

その名残で

今も、私の中では三島由紀夫氏ではなく、

『三島』です。

 

ヴィトゲンシュタインの論理哲学論考や

記号論に触発された青春時代・・・。

 

言葉をなぞっただけで

とても理解などできなかったのですが、

生きることに真剣でした。

そんな私の昭和。

 

2時間あまりのドキュメンタリー映画は

 

あの時代を

自らを

今を

 

振り返る貴重なひとときとなりました。

 

とても良い時間でした。

 

 

 

 

№2047

 

今日は2020年 夏至

 

春分から夏至まで

何だかあっと言う間だった気がします。

 

季節が

環境が

とても速いスピードで移り変わっていきます。

2020年の夏至、

後から振り返ると、何かの分岐点だったりするのだろうな、と

そんな思いがあります。

 

さて、

 

お元気でしたか?

 

 

私の毎日は相変わらず。

 

本当は、心静かな、

おだやかな毎日を淡々と送りたいのですが、

 

なぜだか、

あーだ、こーだ、

いろいろな事件・出来事が毎日勃発し、

 

書類や業務タスクが山積していき、

 

朝早くから夜遅くまで、

走り回っています。

 

随分お腹がすくなぁと思ったら、

よく考えたらお昼ご飯を食べ忘れてた、なんてこともそっちゅうで。

 

いい年齢なのに、

何なんだろう、この小学生のような落ち着きのなさ。

 

私の頭の中には猿がいて、

絶え間なく、木の枝から枝へと忙しく飛び回っています。

 

これを

モンキーマインドと呼びますが、

 

ひとつのことに集中できず、

さまざまな思念が脳裏を飛びかう様子

言いえて妙な、表現です。

 

今これをやっているというのに、あれが気になり、

そこへ電話が入ると今度は別のあれが気になり、

そこへメール着信の音が響く・・・。

 

こうした雑念に頭を占拠されていると、

余計なエネルギーを消費し、

疲労がすぐに蓄積してしまうといいます。

ひとつのことに集中して効率的に思考する、行動する、

ということからはほど遠く、

 

非効率的で、とても無駄な時間をたくさん費やしています。

 

このモンキーマインド

上手に処するにはどうしたらいいだろう、

うわついた心の重心を何とか下におろしたい、

そんなことを思う日々です。

 

さて、今日は夏至。

 

近況報告をちょっと書いておきます。

 

我が社団の研修室。

新型コロナの影響でずっと使用できませんでしたが、

先日、オープンセミナーを実施しました。

 

受講者は皆マスク着用で、講師はフェースガードをつけて講義しました。

換気にも気をつけながら行いました。

 

 

 

 

 

事業者様が参加してくださいました。

 

オンラインセミナーばやりですが、

やはり、

リアルな質問を受けながら、

現場の状況に即して進める少人数セミナーは価値があると思います。

 

この4月、本店を大宮から浦和へ移しました。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

ホームページはこちら →  一般社団法人物流法務総合研究所

 

 

さて、

日曜日でもあるし、

久しぶりに映画館に足を運んでみようと思います。

 

三島由紀夫のドキュメンタリー映画。

 

行ってきます。

№2046

 

ダンスを舞っているかのように、白い雲が青空に広がっていました。

 

 

 

 

お寿司屋さんの卵焼き。何気に大好きです。

 

今、どんな気分?

 

お元気ですか?

№2045

 

新茶の季節となりました。

 

この時期ならではの新茶の味。

 

おいしいお茶は、本当に美味しい。

 

良いお茶の葉と

 

適度な湯温。

 

それに茶葉の開くゆるりとした時間。

 

この組み合わせによって生まれる豊饒な味わいは

なんとも。

 

 

お茶は、

入れてくださる人によって本当に味が変わります。

 

最後の一滴まで、

切るように注ぐ仕草は、

芸術のようだなぁといつも感心してしまいます。

 

だから、

自分が入れるときにも真似をしてみます。

 

新茶をいただくひとときは幸せ。

 

ありがとうございます。

 

№2044

 

近頃、カタカナ語に翻弄されています。

 

ウェビナー?

 

どうやら

ウェブ上で行うオンラインセミナー、

らしいなと話の流れで判りました。

 

ウェブ+セミナーでしょうか。

 

ふむふむと相槌など打ちながら、

 

実は、

初めて聞いた言葉でした。

 

孫が以前、

『大人になったらユーチューバーになりたい~!! 』 と

のたもうたときも、

バァバは 

『ユーチューバー?』『何それ?』『何するひと?』

『仕事は何なの?』

と聞いたほどのカタカナ語 音痴。

 

今は、

 

フェイスブックライブだの、

ユーチューブだの、

ライングループ会議だの、

 

といったものに少しは慣れてきて、

 

参加したり

楽しんだりしています。

 

最初はアクセスの仕方すらわからず

本当にオロオロしました。

 

そうしたら、最近耳にした言葉・・・・

 

『ブーカの時代だから』

 

え? ブーカ?

 

(ブースカ ブースカ ブー♪~

なんて古い歌がよみがえってきました。

みんな知らないだろうなぁ)

 

 

いえいえ、違います。ブースカではなくて、

ブーカ(VOCA)です。

 

変動制 VOLATILITY

不確実性 UNCERTAINTY

複雑性 COMPLEXITY

曖昧性 AMBIGUITY

 

この頭文字をとってVOCA (ブーカ) 

 

元は軍事用語だったようですが、

今は、ビジネス用語として使われているようです。

 

曖昧、不確実性等々、

不安定なビジネス状況にどう対応していくか、

ということで使われている言葉だと思いますが、

 

ここへきて、

コロナウィルスの影響で一変した世界に

VOCAという言葉がよく使われるようになりました。

 

『予測不可能』な未来、

不確実で不透明な世界をどう泳いでいくのか。

 

価値観がどんどん変わっていく。

そもそもの発想が変わっていく。

だから行動も変化していく・・・。

 

そんな選択枝があったか、と

若い人の考え方を聞いて、

その柔軟さに驚かされてばかりの昨今です。

 

そのスピード感、半端ないです。

 

時代がハイスピードで変わっていくなぁと思います。

 

まさにブーカの世界。

 

これらに対応する方法として、

従来のPDCAにかわり、OODA(ウーダ)ループという、

 

またまたカタカナ語が・・・・。

 

コロナが運んできたものはウィルスだけではなく、

時代は本当に移り変わっていく過渡期であると、

 

理解しがたいカタカナ語に触れて

“今” を実感するこのごろです。

 

良い一日をお過ごしください

 

 

№2043

 

じゃがいも畑に、

ジャガイモの花が咲いています。

 

嬉しくなります。

 

 

 

畑の花は元気です。

 

 

お茶畑

 

 

我が家の小さな庭にも

ピンクのミニバラ咲きました。

その色、その花びらの

可愛らしいこと。

 

 

 

色あふれる、

美しい季節ですね。

 

野にも畑にも、それぞれの家に、

にぎやかに。

 

自然の営みとは、

季節がくれば花開く、そんなさりげない幸せの中にあるようです。

 

今日も良い一日を。元気にいきましょう。

 

    

 

   

№2042

 

時計の長針と短針。

 

短針はゆっくりと進み、

長針はちっち、ちっちと駆け足で進みます。

 

そして、短針と長針の重なる瞬間

があります。

 

1時5分

2時10分

3時15分 ・・・

 

でも11時台だけ、重ならないのです。

 

本当?

 

小学校のころに習った算数

(時計算でしたっけ)

を使って計算すれば、

ふたつの針が作る角度と、

進むスピードの差から

長針が短針に重なる時刻を

割り出すことができます。

 

でも、

 

まどろっこしい分数の計算なんて苦手な私は、

手元にあった置き時計の針を

実際にぐるぐる動かしてみました。

 

そうしたら、本当に、

 

11時台の

長針と短針は重なりあいませんでした。

もう、びっくりです。

 

『11時のみ合わない 重ならない

短針が逃げ切る。

次にふたつの針が出会うのは12時』

 

そう聞いて、へぇ~と思って

ぐるぐる回してみたら、

本当にそのとおりでした。

 

どうしてこんなことを書き始めたかというと、

 

11時59分で

時を刻むのを留めてしまった不思議な時計。

 

時計台で働いていたチックタックと、

ニーナの物語

『チックタック 約束の時計台』という、

キングコング西野亮廣さん製作の絵本を読み、

 

戸田恵子さんが声をあてた朗読を聞き、

 

彼のスピーチを

ユーチューブで聞いたからでした。

 

2019年に作られたこの絵本は、

感染症のストーリーです。

感染症について調べ、題材としてとりあげていることに

不思議なものを感じます。

偶然の嗅覚、とでもいうような。

 

そして、

それ以上に心打たれたのは、

 

近畿大学の卒業式で、

卒業生に贈った言葉。

 

『鐘が鳴る前は

報われない時間があるっていうこと。

人生における11時台は必ずある。

 

でも大丈夫。

 

時計の針っていうのは必ず重なる』

 

と話したことでした。

 

夜明け前は一番暗い、とよく云われますが、

それを絵本作家として表現すると、

長針と短針の重ならない11時台の物語

となったのでしょうか。

 

『挑戦にネガティブな結果はつきもの。

でも大丈夫。

 

その結果は、間もなく過去になって

僕たちは

その過去を書き換えることが可能である。

 

失敗は、

その瞬間に止まってしまうから失敗なのであって、

 

失敗を受け入れて

アップデートして試行錯誤して

成功するまで続けてしまえば

あの時の失敗が必要であったことを知る。

 

つまり理論上、

失敗なんて世の中に存在しないって話。

 

失敗なんてないから

挑戦してください』

 

って話す西野さんに感動しました。

 

やさしさ溢れる泣ける絵本も素敵。

力強いスピーチも最高でした。

 

実は、

事務所と家を往復するだけながら、

ちょっと根を詰めて仕事しすぎて口唇ヘルペスを発症しました。

疲れると出るのです。

めげていましたけれど、

 

元気をいただきました。

 

amazon書籍から絵本の表紙画像をお借りしました

№2042

 

今日は国民の祝日。

 

はて。

 

何の祝日?

 

そう、

昭和の日。

なんだそうだ。

 

そうか。

『昭和の日』 か。

 

少し前まで 『みどりの日』 と呼ばれていたし、

その前は、 『天皇誕生日』 だった。

昭和天皇の誕生日。

 

現在の平成天皇の誕生日は2月23日だ。

 

ちなみに、

明治天皇の誕生日は11月3日 (文化の日)

 

子供のころ、ごく普通に、

 

国民の祝日には、

たいていの家が日の丸の旗をあげていた。

 

「はたび」(旗日)という呼び方もそういえばあった。

 

日めくりカレンダーには大きく日の丸の旗が描かれていた。

真ん中に大きく赤い丸が入ったのや、

2本の旗が斜めに交差しているのや。

 

もう今では、「旗日」などという言葉は死語になってしまったと思う。

 

うちの祖母や母たちは、

女性のとある日のことを呼ぶのに

旗日と言っていたっけ。

どういう意味だったろう。

 

昭和が終わった。

 

平成も終わった。

 

令和になり、

 

今度の世界戦争は

ウィルスの形でやってきた。

 

アフターコロナの時代はどうなるのだろう。

 

分断から統合へ。

 

そして個の時代がきっとやってくる。

 

こころの時代がやってくる。

 

耳を澄ませば、

あらゆるところにメッセージ

ありて在る今日。

 

№2040

 

若い人が遊んでいるのを見て、私も。

 

何とかアプリというのをいじってみました。

 

そしたらポスターまで 笑

 

今日も元気にいこう!

№2039

 

お元気ですか?

 

大丈夫?

 

連日のコロナウィルスの報道に

気分が滅入ったりなどしていないでしょうか?

 

毎日どんな気分で過ごされているでしょうか。

 

すっかりご無沙汰いたしましたけれど、

私はいたって元気です。

 

テレワーク、

時間差出勤

電話会議、

等々いろいろ試しながら、

 

とはいっても

仕事を止めるわけにもいかず、

毎日出勤し、通常業務をこなしています。

 

 

 

携帯ホルダー。

 

この赤い部分に携帯を固定し、

スマートフォンで電話会議。

 

パソコンを動かしながら、

メモをとりながら、

それぞれ別の場所にいるメンバーが集い、話し合いをする、

そんな体験が新鮮でした。

 

これまでは往復2時間もかけて会議に出ていましたが、

そうか、こんな形もあったかと。

(昭和人間の私は、

それでも、ホントは直に会いたいな、と思っちゃいましたが)

 

時代は大きく変わっていきます。

 

これからこの変化はさらに加速するのでしょうね。

 

この後やってくるであろう景気後退。

混乱。

気が気ではありません。

 

今でさえ、大変な現場は

それはそれは大きな痛みを経験しています。

自分の非力さを感じながら、でも、できることをするしかない、もどかしさ。

 

そんな中で、コロナウィルスは、

 

この社会が、かなり以前から潜在的に蓄積してきた課題を、

目に見える形であぶり出している、そんな気がします。

 

生き方や価値観、

世代間によるそれらのずれ。

家族

親しい人との関係、

迷走する主導者や、

国の分断・・・。 在り方。

 

そこに問われているのは、

これを機にいろんなことを変えていかなければならない、

これを機に見つめなおしていかなければならない、

ということなのかもしれません。

 

変化変容し、新しい世界を構築するために、

 

深くうちへ

自己のうちへ、

この世界のうちへ、

 

真摯で良質な問いを発し、

思いを変え、行動を変え、

そうやって世界を変えていくこと。

世界が変わっていくこと。

 

変わることが、今 問われているのではと強く感じます。

 

災いの中に未来への種が蒔かれている、のかも。

再生という言葉が思い浮かびます。

 

とりとめもなく書き散らしましたが、

伝えたいのは、この一言。

 

どうぞお元気でいてください。