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霧島連山の高千穂峰 と
宮崎県の高千穂峡、
それぞれ『高千穂』と
名前がついていますが、
距離にして 結構離れています。
車で3時間ほどかけて移動しなければなりません。
でも、
行ってみたくて
宮崎に一泊してきました。
天岩戸(あまのいわと)神社は
神話の舞台となったところです
まずは東本宮に参拝し、
次いで西本宮へ行き、
その後、河原に沿って小道を下っていき
洞窟の中にある天安河原神社(あまのやすかわら神社)
古事記では
〈 あめのやすのかは 〉と記されている場所
へ向かいました。
神話では、
イザナギが川で禊(みそぎ)をしたときに、
左目から天照大御神(あまてらすおおみかみ)が、
右目からは月夜見尊(ツクヨミ)が、
そうして鼻から
須佐之男命(スサノオノミコト)がお生まれになったとあります。
なぜイザナギが禊をしたか、も有名な話ですが、
その話はまた今度にして
このとき、
天照大御神は日をつかさどる太陽神として生まれ、
父であるイザナギから
高天原を治めるよう言い渡されます。
月夜見尊(ツクヨミ)は夜を
須佐之男命 (スサノオ) は海原を
治めるよう言われました。
それなのに、
泣き虫スサノオノミコトは
(後にヤマタノオロチを退治する勇者になるのですが)
よい大人になっても
『母 (イザナミ)が死んでしまった、
会いたい、会いたい、恋しい、恋しい』と
泣きわめき、
ちっとも海原を治める仕事を果たしません。
それでついに 天を追放されることとなりました。
お別れの挨拶をしに
姉である天照大御神の元を尋ねるのですが、
泣き虫のくせに暴れん坊でもあったスサノオノミコトは
そこで、田んぼのあぜを壊したり
機織り小屋に馬を投げ入れたりします。
スサノオの乱暴は、ただの乱暴ではなく、
勝ちさび(勝佐備)というもので
『あめのやすかは』で光を得たための 思い上がり だったのですが、
とはいうものの、
あまりに度々の狼藉に
とうとう、天照大御神さまは岩戸の中にお隠れになります。
太陽の神様が岩戸の中にに隠れてしまったため、
世の中が真っ暗になってしまった、
というくだりです。
さあ大変。
高天原は闇に覆われてしまいます。
困ってしまった八百万神(やおよろず)の神々は
集まって一計をはかり、
アメのうずめに舞を踊らせ、
皆でにぎやかに祝いの宴を催します。
何事かと外の様子を見たくなった天照大御神が
薄く岩戸を開けたところを
手をつかんでぐいと引っ張りだした、という伝説です。
そして世界に光が戻った、という話。
実はこの物語、
とてもとても深い諭(さとし)が含まれています。
天照大御神は
スサノオの乱暴に怒って姿を隠したのではなく、
「みかしこみ」をされて
(じっと考える みつめる 責任を引き受ける 反省をする)
『 天岩屋戸(あまのいわやと)を開きて
刺し籠り座しましき(さしこもりましましき 』
と古事記には書かれています。
覚悟のおこもりだったのです。
さて、いよいよ高千穂神社です↓
それから
滝からの帰り道でみつけたアオダイショウ
「蛇を見ると、縁起がいいと言うからね」と
教えてもらいました。そうなん?
水がきれいで、山に囲まれ、自然豊かな国。
それが 私たちの国であることに
こころから感謝いたします
また
天原(たかまのはら)に対して
現し国(うつしくに)と呼ばれる私たちの世界。
本当の仕事を行うときには、
天安河(あめのやすのかは)を見つけ、
その中に入って
禊をしなければならない、
『安河』は〝命の河” ”光の河”でもあって、
〈 あめのやすのかは 〉と一つになれば、
絶対安心の境地にはいる、と書かれています。
実は現し国にも安河はあり、
この安河の見えない人には、
本当の仕事 (結び ムスビ)はできない、のだそう。
絶対安心の境地に入ることのできる かは (河)とは
一体 何なのでしょう。