業(ごう)を生きる

 さる10月の8日から10日まで、教区の自主研修会で東京に行ってきました。目的地の駅に到着した時、ふいに切ない気持ちが私の心に蘇りました。それは、たまたまそこが今から20年ほど前、自分が受かりたいと願っていた大学が集中してある場所だったのです。周辺大学を数校受験したのですが、どこも駄目で、涙を飲んだ場所でした。当時の私はスポーツが得意なわけでもなく、そのくせ彼女が欲しい、何とか出来ないものかと悩んでいた時でした。有名大学にでも合格すればモテるだろう、と必死に勉強したのですが、夢破れ、別の大学に進みました。それはそれで多くの出会いや楽しみをもたらし、それもまたかけがえのない思い出ではあるのですが、それでもその駅を通り過ぎる時は「ああ、ここの大学に受かっていたらなあ」と思うことはありました。

 その挫折感は乗り越えられたと思っていましたし、実際自分自身忘れていたのですが、駅に降り立った瞬間、鮮明に思い出したのであります。この胸のつかえは、自分の抱えていた学歴に対する劣等感なのだなあと思いました。あの時あの大学に受かっていたら、自分の人生は今とは違っていたかな、など色々考えました。

 そんな事を思いながら現地での研修を終えると、次の日新宿ロフトプラスワンにて元オウム真理教幹部の上祐史裕氏とグレートサスケ氏のトークライブがあったため、ついでに観覧してきました。オウムの広報部長として活躍した上祐氏は早稲田大学理工学部大学院を卒業し宇宙開発事業団に就職した身ですが、わずか一か月で退職しオウムに入信します。その上祐氏いわく、東大出身でもオウムにはまった人もいたそうです。その東大出の人がなぜオウムに入信したか、その理由を聞いて私は愕然としました。皆様は何だと思われますか。

 それは、「自分の才能では、一生ノーベル賞は取れない」ということに悩み、絶望しての入信だったそうです。

 思わず苦笑いしてしまうような内容ですが、本人にとっては深刻な問題であったのでしょう。自分が作り上げた価値観、世界の中で、「自分の思い通りになることが幸せである。それ以外の人生は不幸だ」と思い、悩む。

 宮城顗(みやぎしずか)先生は著書「私にわかる浄土真宗」の中で、業(ごう)ということについて次のように語られています。

 「現代の私たちは、何よりも自分の思い通りに生きることが幸せだと思っています。自分の思いに忠実に生きることが、自分を大切に生きることだという感覚があります。それに対して「業」という言葉は、思いではどうにもならないいのちの事実というものをあらわす言葉です。どれだけ自分が思いを尽くしても、変えることも無くすこともできない、私の思いよりももっと深く、私をこういう形であらしめてくれている力が「業」です。その意味で「業」という言葉は、私を束縛してくるものです。言い換えれば、私の思い通りに生きようとする時に、いつもそれを妨げるものです。(中略)、「親鸞様に遇えて良かった」ということは、親鸞さまという理想の人が見つかったということではありません。「そくばく(若干。ここでは数限りないという意味)の業」に悩むということからいえば、どんな人もそれぞれに、みな一人ひとり同じ「そくばくの業」を持って生きているわけですが、「親鸞様に遇えて良かった」ということは、私は私の業を生きていけばいいのだと教えられたということです。親鸞様に遇えて、初めて私は私に帰れたということをそのおじいさんは言われたのです。真言宗、聖道門は「ああいう人になれ」と理想の人を掲げて「そこまで来い」といわれるが、それに対してこの本願の道は「汝のいのちの事実に帰れ」と、「そしてそこを生きよ」ということを知らしめて下さるのです。そういう道を歩まれた親鸞聖人に遇えた時に初めて、こういう「そくばくの業」の中に道があるということをうなずくことができた喜びを、そのおじいさんは言っておられるのです。」

と。

 自分の思い通りに生きている間は、肝心な自分自身ということについて気づく事ができません。逆境に遇うた時に初めて私たちは自分というものを問い、自分というものを叫ぶのであります。逆境は、大切なご縁なのでありましょう。自分の価値観や都合がかなう世界は、所詮自分の思いに縛られた世界です。自分の価値観や都合を超えた世界に出会いう事によって、むしろ自分は解放されるのであります。