今日はわが家の愛犬小太郎の四十九日です。
3月1日、元気で15才の誕生日を迎え、
3月6日にお浄土に還りました。
まさか今日死んでしまうなんて…というのがその日の実感でした。
昨年の報恩講の前夜に股関節脱臼の大怪我をして、なんとか歩けるようになったものの認知と老衰が少しずつ進んできた半年間でした。
家での介護生活も振り返れば色んな変化があったなぁ…と思い出します。
視力聴力が衰えてきました
その日の小太郎は…朝から下痢をして、しばらく便が出ていなかったのでオムツの中が大変な事になり、 あまりに汚れたのでシャワーで洗っていたらけいれんが始まりました。
なんとかしたい…と思ってもどうにもならなくて、病院にも思うように行けませんでした。
夫と代わりばんこで面倒診ていましたが夕方やっと受診する事ができて、落ち着く注射をしてもらいました。
認知が進んできた昨年末、夜遅くに急に激しく吠えて暴れたことがあり、
いつどうなるのか、
その時病院に行くことができるのか?ということを考えさせられていました。
その日はなかなか大変な状況ではあったけれど、何より家族の手があって、注射で一時落ち着くことができました。
注射の後のお医者さんのお話の感じから
いつどうなるかわからない…とのこと
わかったつもりでいました。
帰宅後しばらくしてからけいれんが始まり、最期は横になったまま全力疾走する姿で小太郎はこと切れました。
足が脱臼してから走ることはできなかったので、その姿が衝撃でした。
認知で老衰であればきっと私の腕の中で眠るように終えていくだろうと思っていた命…
苦しくないように
死なないように
そう思って色んな手だてをしました。
けれど
苦しい形相で、舌の色が数秒で黒くなって、呼吸が止まりました。 凄まじい最期でした。
両親をはじめ人間の死を少しだけみてきたけれど、思ってもみなかったいのちの最期に多く考えさせられました。
いつどうなるのかわからないいのちを私もまた生きています。
そのようにお伝えもしています。
けれど、小太郎の最期に遇ってまさか今日、まさかこんなふうに死を迎えるなんて…と思いました。
わかったつもりでいた自分…
目の前の小太郎のいのちの営みを見ながら
今という時間が終わっていくことを思いました。
さっきまでここで生きていたのに
なんとなく思い返すのが辛くて、
犬だけど私たちと同じように初七日、二七日…と過ごし、なんとなく四十九日にブログに書いてみました。
やっぱり涙が出ますが、涙を流すことは大事なことだと実感します。
この期間…ご葬儀のあったお宅のご遺族も三七日、四、五、六七日…とお話をしながら、お参りにうかがっています。
亡き人を偲びながら、なんとか少しずつ生活をしていくお姿に遇わせていただく日々です。