3月30日に信明院さまが命終されました。

写真は2018年11月8日
三条別院の報恩講の御満座(最終日)のご出仕が終わられた後、参詣の皆さまにご挨拶をされているときの様子です。

三条別院の報恩講御本山の御鍵役として50年もの間おいでくださいました。
お歳を召されても三条だけは…と毎年ご出仕くださったこと、本当に有り難く頭が下がります。
そこには様々な思いと深いご縁があったからこそ…とご挨拶の中でお話しくださいました。
そしてこれが最後かもしれないとおっしゃって、本当に最後のご出仕となりました。
お帰りになられる際に
「写真を撮りましょう!」とお声がけをくださいました。



住職は信明院さまと不思議な…深い因縁があり、節目節目にお声がけをいただいていました。
今の私たちがあるのはそういうご縁のお支えです。

私たちがそう思うばかりでなく、信明院さまも思ってくださっていた…その事をご挨拶の中でお話しくださったので録音を文字起こしをして残しました。




信明院殿 三条別院報恩講ご挨拶より


私は若い頃予科練にいたときにある先生に出あい、育てられました。
その方は佐渡のご出身の深山賢次郎分隊長です。
たくさんの教えをいただいたご恩のある方で、歳をとってからも佐渡で開かれる「深山会」(みやまかい)で分隊長や仲間とお会いすることが楽しみでした。
不思議なご縁で深山分隊長のせがれさんのせがれさん、
分隊長の孫ですね、この方が柏崎のお寺へ養子に入られた。
そういうご縁でまたこちら三条別院に繋がりができましてね、
まさか19の時の分隊長と一生私が繋がってご縁をいただいて、
しかもお寺の住職にまでなられた。
こんな深いご縁はここしかないんです。
そのことを当局に申し上げました。
どうしても深山さんに会いたいんだ。
今日来ていただいたので嬉しくて。

今も裏でこうして歳をとった私を助けていただいて報恩講を勤めさせていただけたのは皆さん方のおかげなんです。
私の力ではとてもじゃないがそんなことはできません。
こうしてたくさんの方にお参りに来ていただいて、裏ではお寺さん方がみんな一つになって報恩講を勤め上げることができたんです。
本当にね、ご縁と申しますか、絆と申します、この深い味わい。
やはりご開山聖人が90年の長いご一生の間、お念仏一つに唱えられて我々をお導きくださいました。
来年も来たいんですが91になりました。
無理かもしれません。
できたら三条だけはどうしても来たい!
こんな遠くても来たいんです。
皆さんとご一緒にお念仏を唱えたい。
その心を今、裏で皆さんに伝えましたが思わず涙がこぼれてしまいました。
みなさんとご一緒にお念仏を唱える喜びを味わわせていただいたこのご縁は
一生忘れません。
どうか皆さんは来年も再来年もお参りしていただいて、ご開山聖人のお導きを喜んでいただきたい。
これが私の願いであります。
ありがとうございました。



住職も私も毎年別院の報恩講に出仕したりスタッフを務めたりしていますが、
2018年11月8日…この日も住職は信明院さまのもと内陣出仕をし、私も書籍販売のスタッフをしながら参詣をしていました。

その場に居てお話を聞くことができて本当に良かったと思いました。
私は号泣でした。
これまでのことを振り返って、救われる思いでした。
一生忘れません。

あれから5年が過ぎましたが、
住職は本山本廟教導として東本願寺でお話をさせていただくようになり、毎日お朝事に出られる信明院さまにもその様子を見守っていただいたことでした。
佐渡の実家にも何度かお参りくださっていたこと、私たちの知らないところで深い繋がりがありました。あとから知ることに縁の不思議と願われたわが身を思い…手が合わさります。


住職は最後のお別れに京都に行きました。
感謝の気持ちでいっぱいです。
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏