前坊守(第24世) 華芳院釋尼淨泉(けほういん しゃくに じょうせん)
の葬儀が3月8日、9日に執り行われました。
の葬儀が3月8日、9日に執り行われました。
ご時世複雑な中、ご会葬くだった方
本当に有り難く、心より感謝申し上げます。
遠方より御香資、お手紙、お志をくださった方
飛んできてくれて私を励まし、助けてくださった方
涙を流して悲しんでくださった多くの方々…
本当に有り難く、心より感謝申し上げます。
北条西方寺様ご住職を導師にお迎えし、運行寺様ご住職の式支配の下、親戚寺院、法中寺院、参列してくださった寺院方もお勤めくださいました。
そして、當山の総代、世話人、台所方には各所への「告げ」から始まり、準備から後片づけまで本当に良くしていただきました。
日程中お天気は快晴で、通夜葬儀とも予想外に満堂のお参りでした。
コロナで世の中が大変な中、今この時を大事とし、共にしてくださった皆様のお気持ち…
亡き人が出遇わせてくださった尊いご縁、阿弥陀様の尊いおはたらきをたくさんいただきました。
体調が悪く久しくお会いできなかったご門徒さんが無理を押して訪れてくださったり、お手紙や絵画を送ってくださったり
滋賀県から飛んできてくださった母の学友の書家、磯部先生には急なお願いをして法名を書いていただきました。有難いご縁ばかり…
出棺の際は
お世話になった総代、世話人の皆様に車まで運んでいただいて…
母はしあわせだなぁと思います。
金子大栄
これは1月の枇杷島同朋の会法話会の講題で、母が入院直前に書いた最期の筆です。
花びらはいつか散ってしまうけれど、美しく咲いた花の香り、その存在は記憶に焼きついて残るもの。
人間もまた、形が滅んだとしても私の中に生き続けます。
人は死んだら終わりではない…
「存在」のはたらきということを深く考えさせられる金子大栄先生のお言葉です。
今、私は悲しみの只中にいます。
すぐに涙が出ます。
でも
手を合わせたとき出あう母の存在は滅することなく、これからも益々はたらきかけてくださる尊い存在となっていくことと思います。
それを母の筆から励ましていただいて、今日を生きています。
仏となった母の願いを問いながら、生かされている自分を見つめていきます。
たくさんの
貴重なご縁をいただき、感謝申し上げます。
ありがとうございました。
釋尼妙音