☆長嶋茂雄選手の偉大さ<セイギョウ名手列伝> | 松林正曉(SEIGYO)オフィシャルブログ

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松林正曉 1963年1月30日生まれ 東京都出身 :プロドラマー/タレント/プロベースボールテクニカルコーディネーターのブログ配信

セイギョウ松林です。さて20回になる名手列伝。前回の王貞治氏に続いて
プロ野球至上最も記憶に残る大名手をご紹介します。長嶋茂雄氏(立教大~巨人~巨人監督~巨人終身名誉監督)


<六大学のホープはメジャーを目指していた>☆どれだけ凄い大選手だったか...
長嶋茂雄氏は立教大学時代からメジャー選手を目指しプレー研究を積んでいた。

[強豪読売巨人軍の凄まじさ]
私が野球に熱中し出していた小学生の頃、周りの野球少年は皆背番号3に憧れていた。しかし当時のジャイアンツは名手が揃っていて凄まじいスター選手の宝庫でありV9の真っ只中。打線の軸は左打者の王、右打者の長嶋をしてON砲と呼ばれ右の堀内恒夫投手、左の高橋一三投手をピッチングローテーションの柱に森祇晶捕手の配球分析からピッチャーのテクニックを最大限に発揮させる裏技と、不動とも言うべきオーダー。名将・川上哲治監督を補佐した名参謀こと私の恩師・牧野茂ヘッドコーチの戦術で圧倒的にペナントを制覇して強かった。ゆえに私は後楽園球場や多摩川グランドにもよく足を運び間近にV9ナイン選手のプレーを観ては野球を学んだ。


<長嶋氏は強烈な存在感をもった大スター選手だった>
長嶋氏は守備力、打撃力に優れていた。走塁テクニックも決してスティーラーではないが走れば華があり皆長嶋氏のプレーに引き込まれた事である。
ずば抜けていたのは[守備力]だ。華麗でいてダイナミックに連動されたステップワークとフィールディング。リズミカルに送球されたボールが王貞治氏のファーストミットに入っても長嶋選手の身体はステップワークを踏んでいた。そのフィールディングはエラーをしてもファンを魅了し楽しませた。


<幾度と生で観たチャンスに強いバッティング>
バッティングは勝負強さに長け、ここいちばんと云うチャンスで滅法強かった。ミスターと呼ばれ、プロ野球界を湧かした長嶋氏。(打席でのルーティンは現在でもマネ出来る程に記憶している)

<長嶋氏がお手本にしていたのはミスター・タイガース・藤村富美男氏>
長嶋氏は学生時代から阪神タイガースの藤村富美男選手を目標にしていた。藤村富美男氏と言えばタイガースの名手であり、もし私がリアルタイムで目にしていたら真っ先に名手列伝に記述している程プロ野球界を盛り上げた名選手だ。
そんな藤村富美男選手を目標にしながら長嶋氏は日本のプロ野球にメジャーリーグのプレーをいち早く実践した選手なのである。

然るべく長嶋氏は立教大時代からメジャーリーガーのプレーテクニックを学ぼうとしていた。ジョー・ディマジオやウィリーメイズのプレーフィニッシュなどのテクニックを学んでいた。ミッション系の立教大学だからか特別な関係で映写機を観ては投手なども研究し、それらの選手をリアルタイムで観ていずれ対戦する気持ちでメジャーを手本にしていた事実がある。

だからこそ私の名手列伝ではMLBの特別な意味合いが湧いてくるのだ。


◎エピソードを2つ。私の大切な思い出である


<長嶋茂雄氏との遭遇1>

私が、長嶋氏に第一遭遇コンタクトしたのが電話であった。
私の父が当時、週刊ベースボールで長嶋氏と対談記事を掲載した直後のある日の夜の事、一本の電話が鳴った。受話器をとると『あ~私、東京読売巨人軍の長嶋と申しますが、う~ん松林先生ご在宅ですか?』たた、っ確かにあの甲高い声は長嶋選手だぁーっ!と驚いた私は父に、『な、な、な、長嶋巨人...じゃなくてあー長嶋からでん、で、電話...』と伝えて体が震えたのが第一回耳での長嶋氏との遭遇。何と云っても野球少年の私からすれば雲の上の大スター選手であり、興奮醒めずにその後外に飛び出して素振りをした事を覚えている。

<長嶋茂雄氏との大遭遇2>
その長嶋氏からの電話は2日後に行われる後楽園球場に父が実況テレビゲストに呼ばれる打ち合わせのようであった。父は長嶋選手に会わせてやる。との約束に2日間が物凄く長く感じた。

そして待ちに待った2日後、後楽園球場で試合後に長嶋選手との第2回目の大遭遇となる。

長嶋氏は私に会うやすぐ『おぼっちゃん?野球やってるんだってねぇ~』はい。と私。『うーんポジションどこかな?』セカンドです。と私。『そう!セカンドかぁ、土井選手見た?うん?土井ちゃんみたいに頑張って...』そう言って頭を撫でてくれた。大きく見えた。めちゃくちゃ大きく見えた。それが長嶋選手とお会いした私の思い出である。

父は私に野球が上手くなる為にはいろんな事をしてくれた。父は広島の名門校・広陵高校出身。今思う。キャッチボールしてくれた事。片手捕球するとよく叱られた思い出。雨の日もランニングするのを陰から覗いていた父。今ではとても感謝している。




<常にメジャーを目指しファンを楽しませる努力をした長嶋氏>
長嶋氏のそれは先に述べた阪神タイガースの藤村富美男氏から受け継がれていた。つまり藤村富美男氏もまたメジャーでのエンターテイメント性に御尽力された名手であったと言える。

つまり長嶋氏は守備で観客を楽しませる創意工夫を常に心がけてプレーしていたと云う。

<長嶋茂雄氏に着目出来た深い因縁>

アメリカンベースボールを語るに特にメジャー・プレーを日本プロ野球界で実践したのは長嶋選手が先駆者だと確信がもてる。それは私がリズミカルテクニックの研究で見つけ出した長嶋茂雄氏のキューバ野球の研究とのリンクであった。長嶋氏は語った『キューバの選手には独特なリズム感がある...ベースボールはリズムが命ですね』わたしは悟る。私も大学時代から同じ事を感じていたのだ。それはキューバの独特なリズム理論を学び体得したラテン・ドラム技術の修得経験とベースボールテクニックの動作学が全てリンクする事を熟学した事実。
(それからキューバやドミニカ共和国、プエルトリコ、パナマ共和国などの野球の研究を続けて現在がある)

☆実は私は東京生まれ世田谷育ちだったが、既にこの小学生の頃から阪神タイガースのファンであり江夏豊投手と藤田平選手ファンであった。(理由を述べると長くなるのでまた折りをみて記載する)しかし野球に関してどこのチームであろうとも名手は認めて学ぶべき選手からは手本に勉強するよう父親に隈無く選手から研学するように野球理念を叩き込まれた。この様に多くの野球選手の長所や各球団の持つ体制へと視野を広げられた事が、ベースボールアナリストとしての直感的分析力に秀でた独自の感性でベースボールが観れている。

最後に...
(長嶋茂雄氏の引退式のスピーチを今一度思い出してほしい)
長嶋茂雄氏は真にして天才である!<選手諸君の健闘を念じて>



セイギョウ松林
SEIGYO M.#00
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