ラグビー一家の我が家、観るのも勿論好きですが、今回の様な屋根のない会場へは雨を押してまで行く気にはなれません(たとえチケットを無駄にしても)。

何故なら、ラグビー場では雨の日は頭からすっぽりのレインウェアでの観戦を強いられるからです(屋根のある会場で雨が当たらない席のチケットが取れている場合を除く)。後ろ席の人の視界を妨げるので、傘を差しての観戦が一応禁止されています。チームの関係者か余程熱心なファンでない限り、雨の日は普通パスです。



そもそもラグビーと私の結び付き...
それを語るには、ちょっと長くなりますが父のことから...
まずは祖母についてちょっと...

ここだけの話ですが、10代で祖父に見初められ、学業半ばで○○音○学校を中途退学した祖母は、叶わなかった夢を息子(私の父)に託します。

祖母の熱の入れようは半端なく、小さい頃から父に最高の音楽教師をつけ、家が一軒買えたというベヒシュタインのコンサートピアノを買い与えるも、当の本人は全くヤル気なし、稽古をサボりあるき、ご近所でも評判の暴れん坊振りを発揮する毎日。公立小御三家のひとつに通っていたのですが、開校以来の悪ガキ問題児。

裏口入学(本人の弁)した○○学院中等部(当時初等部は女子部のみ)でも色々問題を起こし、校風にそぐわないということで退学処分になった模様(本人は停学と言ってますが…エピソード①:同級に故・團 伊玖磨氏。「最初はいけ好かない男と思っていたが、話してみると意外と気が合った」)。

その後巡りあったのが、ラグビーというスポーツで、有り余るパワーをラグビーにぶつけ、それから相当長い期間ラグビーが生活の中心となりました。そんな訳で、私たち兄弟も物心ついた頃から、休みの日には父に秩父宮ラグビー場に連行されるのが日常になっていました(母は付き添いで)。

父親の名誉のため付け加えておきますが、父の放蕩は中学校までで、ラグビーに出会ってからは勉強の方も頑張り(エピソード②:同級に故・篠原 一氏。父に散々イジられていた親友で「あいつが勉強してるとこ見たことない」。ところがこれが大秀才(本を2,3回読めば全部頭に入っちゃったらしい)!2学年飛び級して入学した一高、東大でも首席、父がペーペーだった30代半ばで既に東大法学部教授の職に就いていた。ラグビーで現役を退いた後は(こんだ父の話)、仕事に驀進しまくって家族を支えてくれました。

私とスポーツ...
私が学生時代やっていたのは、陸上の400メートル(小学校まではラグビー部、足が速かったので私の場合、中学から陸上に転向し100メートルと200メートル、高校からは400メートル)です。

400は地味ですが、スピードとスタミナ、その両方を必要とするキツイ種目で(あらゆるスポーツの中で、一番キツイと思っています)、あるオリンピアンはゲロバケツを用意して練習に励んだと言います(お食事中の方がいたら丁度良かったですね。○んじゃ焼きだと最高)。

ぷらぷら生活している今となっては、400のしんどかった練習が、とても懐かしく感じられます。青春とは何だ!?まさにあれだ(阪神タイガースのアレでないヨ)!!ケツ割れだ〔註〕!!

〔註〕400を全力疾走したあと、尻から太腿裏にかけての筋肉がつり、尻、割れ目、腿に激痛が走って立ってられなくなる現象(四つん這いで移動)。屈強なオリンピアンでも襲われる体力、というか人間の限界。

先週(連休)は伊豆に行ってました。東海道線に乗った時、必ずチェックするマニアックなポイント...

よく写っていませんが、JR根府川駅(神奈川県小田原市)。帰りの電車から撮りました。相模湾に面した海の見える駅で、関東の駅百選にも認定されています。無人駅。快晴であれば相模湾の向こうに、千葉県房総半島が望めるとのこと。三連休後半は生憎の天気で、海はご覧のように鉛色でした(連休初日はあんな良い天気だったのに…⇒前記事)。



こちらは以前もご紹介した千歳川。往きに撮影。この川が神奈川県と静岡県との境になっているのですが、そのことはあんま知られてません。JR湯河原駅を通過して直ぐ、あっという間に通り過ぎてしまいます。並行して走っている東海道新幹線からだと殆ど気が付かないと思います。



時候の挨拶として使う「鴻雁来る(こうがんきたる)」時期は、本来ならば今頃の時期(10月中旬)を云うのだそうです。

作詞者・作曲者不明の文部省唱歌音譜“雁(かりがわたる)”音譜合唱:杉並児童合唱団 <イヤホン推奨>




次回のブログ更新はメモ今月下旬(BS日本こころの歌スペシャルコンサート<出演:FORESTA>@なかのZERO大ホール 10/25 のレポ )を予定しております。


マタネ