初めてかもしれない 英雄のうそ | 千変万化を見届けて

千変万化を見届けて

好きな俳優・女優さん中心に観劇感想を書いていこうと思います

私は舞台観劇ができた場合でもDVDを1度見てから感想を書きます。
それは殆ど例外なくDVDで見ると沢山のことに改めて気づいて感想が変わるからですが、英雄のうそは、1度DVDを見ても劇場観劇と感想が全く変わらなかった。

英雄のうたは正直、ナポレオンにご都合主義な表現の部分もありましたが英雄のうそはそういうことないんですね。

果たされぬことは、嘘と同じ過ち。
救われぬ嘘を呟いていた人も、名も無き背中を、追いかけて。

英雄の証し、それは嘘つき。

これ、よく維新を現した言葉です。

“嘘”に、なってしまった多くのことは、民衆が心の何処かで願ってる夢。

夢を口にする、言葉にして、動く。
それができる者が英雄。

嘘になるかもしれないことを覚悟の上で言葉にできることが英雄なら、英雄ほど嘘つき。

だから叶わぬ夢を語る英雄は、大嘘つき。

他愛ない嘘に、(中途半端な夢に)、傷つくくらいなら、
優しい嘘に、(優しい夢を見て、叶わなくて)泣く方がいい。

これ、なんてよく幕末を現した歌詞だろう。

沢山の夢を語れる人ほど嘘つきになる。
明治はまだそういう時代。

でも果たされなかった誓いも約束も、本当に“果たす気が無かった”のかどうかなんて解らない。

救われぬ嘘を、呟いていた人も、名も無き背中を、追いかけて。

たとえ結果的には嘘になったとしても、夢を語った英雄の最中を、つまりはその夢を、追いかけたことに満足しているかもしれない。

英雄の証しは嘘つき。
幕末において、これは本当のことだと思う。

なんていうか、高杉が英雄で、桂(木戸)が英雄でないのはこういうこと。
勝てるはずなんか無くても功山寺決起をしま高杉に大きな夢を見る。

桂は、理想は余程高杉より高く(だってあの時代に文民統制とか、『国のため』でも民の命は無駄にしてはいけないとか。国庫苦しいなら高官の給料から減らせとか。実際自分の給料半分にしたことも。町中の箸の値段がどうのこうのとか書いてある木戸日記)
だけど桂は、足元が見えすぎる人で、今の民の苦しみを見捨てておけない。
あともうひとついうと、長州は幕末を最も『夢に生きた』藩です。
殿様が意見を決める藩では無かったので、各々が自分が正しいと思うことをやった。そしたらどこの藩より沢山死んだ。

桂はそういうことを、『夢』に伴う痛みを一番知っていたから。


夢を語って空を駆ける人と、理想を抱いて地を歩く人と、どちらが正しいというわけでもなく。

英雄の証は夢を語れるその強さ。
そうやって生きて死んで、満足した人もいて。
でも満足しなかった人も居て。

夢は、言葉にしなければ叶うことはなく。
けれど語るだけでは、生き抜いた人は良くても、取り残された人達の心は救われない。
だから、国のために死んでいった英雄達の跡をついで、歴史で英雄とは言われない誰かが、
大きな夢を語らなかった誰かがそれを形にしながら生きて、地を歩く。


夢を語って、希望を与えて、けれどそれを嘘にしか出来なかった英雄たちと、大きな夢を口にすることはなくても、理想を抱いた、英雄とは言われない人達の、同じたったひとつの夢が、いつか本当になるように。

だから“彼”は最後、名を名乗らなかった。
英雄とは言われない英雄が、自分だけではないと知っているから。





英雄のうそは、本当に、描くべきテーマをしっかりと根幹に据えてあったから、1度も感想が迷わなかった。

キャストごとの感想は後日。
真志、今ここにないモノを見るような遠い目をするのうまいなぁというのはいつも思うこと。