漸く解った、ぼくとしょ3共通テーマ | 千変万化を見届けて

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好きな俳優・女優さん中心に観劇感想を書いていこうと思います

ぼくとしょ3生をそれぞれ1度ずつとDVDを何度も何度も見て漸く解った、共通テーマ。

今回の共通テーマは「だけど、それでも」

相沢に感謝しているのも多分本当。だけどそれでも、恨んでしまうほど愛しい人が居た。クリスを愛していたのも本当、だけどそれでももっと優先したい夢があった。

お別れは淋しくて、だけど王子様はやらなきゃいけないことがあった。だけどそれでも、地球で何人かの友達を作ったことを後悔はしない。
寂しさを知っても、もっと大きないいことがあった。
パイロットは知っている。もう黄金色の少年に会えないことを。だけどそれでも、心のどこかに願うことをやめない。それが多分「友達」だから。

アラジンは王子様じゃない。姫だって毒を盛ったりした。物語ではこんなことしなくていいはずだったのに。だけどそれでも、姫を愛してくれるところだけは、姫が憧れた物語のアラジンで。


カラマーゾフは本当に、沢山の「だけどそれでも」が詰まっていた。これはテーマを全面に出しているのでその分誰も救われてないけれど、その代わり誰も孤独ではない。
あえていうならグルーシェンカが孤独かな。一緒に死ぬのって思うくらいドミトリーを想ってたことに気づいたと思ったらお別れで。

白雪姫も解りやすかったな。てかこれについてはハッキリテーマを台詞にしてたし。完璧じゃない。欠点がある。だけどそれでも。


そして私にこのテーマをDVD一発で気付かせたのはやはり真志だった。
だから最初は、ライト兄弟の裏テーマなのかと思ったけどよく全体見たら共通テーマでした。


ライト兄弟が、『演劇』だったのもちゃんと意味がありました。

私普通に生で見たとき、

「ライト兄弟の発明した技術は、今となっては時代遅れのものかもしれない。けれど、彼らの、興味あるものをどこまでも追求する情熱は、少しも変わらず引き継がれて行くのだろう、いつまでも、これからも。」ここにメッセージが集約されてると思ってて、この台詞に説得力を感じさせられるかどうかが、それまでの演技で決まるのだと思ってました。

違いました(多分。)
もっともっと大事なことは、
「あの演出家と脚本家が実際に上演したかどうかは、記録に残っていない。」

の方でした。
真志がこの台詞を、とても楽しそうに、満足そうに、噛み締めるように言うから。一発で気付いた。

狙ってたなら脚本家さん凄いなと思うし、間違いなくテーマに気づいてる真志も流石。

あの脚本って上演されたかされなかったかって、本当に本当に心底、誰にとってもどうでもいいことなんですよ。

だってオーヴィルは今、1人この世に残っていて、だから今更世間から再評価されたいなんて思ってない。

たけど、あの脚本を朗読することで、オーヴィルは束の間、ウィルバーやキャサリンに“会った”
だから「カット!」がかかっても「僕たち飛んだんだ!兄ちゃん!」て言った。

世間から再評価なんてされなくても、今更、時代遅れでも、だけどそれでも、あの日飛んだことは、オーヴィルとウィルバーとキャサリンの誇りで、オーヴィルにとってはそれでいい。

あの脚本家と演出家が、あの台本を上演したのかどうかは解らない。
周りの反応を見てやはり時代遅れで上演を取り止めたとしても、或いは、オーヴィルの満足そうな笑顔と望みを聞いて取り止めたのだとしても、或いは上演して酷評されたとしても。

上演されなくても、酷評をされても、オーヴィルはあの二人にありがとうと言った。今の望みを聞かせてくれるくらい、満足した。
大衆の支持が得られなくたって、オーヴィルを喜ばせたのは間違いなくあの二人が情熱をもってあの脚本を書き、オーヴィルの所まで持っていったからだ。

苦労も喜びも一番知ってるオーヴィルを喜ばせてあげられたことを彼等は自分達の目で見ている。

満足そうなオーヴィルを見た、その瞬間に彼等は、自分達が成し遂げたことをひとつ、目の当たりにし、実感した。
だから作品の評価がどんなものでも、或いは発表さえされることが無かったとしても、やはり彼らも自分達のしてきたことが全くの無駄だった、という切望に落ちることだけは絶対にないのだから。


世間の評価は移ろいやすくて、曖昧で、だけどそれでも、もっともっと確かなものは、記録なんかじゃなくて、きっと本人たちだけが持っているものだから。