長らくアメブロに投稿していませんでした。Facebookに日々の生活を載せることで一杯になりブログにまで手が回りませんでした。

しかし、ようやく1日お休みができ、時間にほんの少しゆとりが生まれると、最近落ち着いてものごとを考える機会が減っていたなぁと気づきました。

孫が出来たり、教え子たちが子供を連れて遊びに来てくれたりすると、人生の節目を通過しているなぁと感じることが多くなって来ました。

体操の指導を始めて38年。あっと言う間のようです。しかし、これといって成果らしいものもあげず、ただ毎日を必死で生きてきただけだったように思います。

何か世の中に役に立てるようなことや自分が生きてきた証というか実感は全く見当たらず。未だに日々を必死で切り抜ける毎日です。

唯一できたことといえば、遺伝子を引き継いだことと、体操の歴史を後輩や教え子たちに引き継ぐことができそうだというくらい。

自信喪失の毎日の中に一筋の希望や光を未来に見出すことが出来るか?
そんな思いの生活は、禅僧のようでもあり、フワフワと夢の中を彷徨っているようでもあります。

残された時間の中で何が出来るのか?
何がしたいのか?
どう生きたいのか?

情けないくらい自分のことが読めない奴だなぁと思います。人間は外見は年齢を重ねるごとに変わっていきますが、中身はそうそう変わりません。
物心ついてからの自分は大して変わっていないと気づかされることばかり。

もう還暦が近づく年齢になるのに人生の意味なんてこれっぽっちも分かっちゃいません。

ただ、子どものようにワクワク・ドキドキしていたい。もっともっと色んな世界を観てみたい。美しいもの、美しい作品、美しい心、美しい人、美しい世界に浸っていたい。美しいとは見かけのことではなく、感性の世界、波動の世界、エネルギーの世界のことです。そんなピュアな世界に憧れています。

本当に子どもみたいだと思いますが、日々の雑多な出来事から離れ、イメージの世界に漂っているのが一番好き。

こんな厭世主義者のような奴でも、息をし、腹を空かせ、愛を求めて今日も生きねばいけません。

Facebookにはみんな良いことを載せますが、人間はそんな面だけじゃないって、みんな暗黙の了解のもと書き込んでいますよね。私もその一人。

でも、時には心の中の葛藤を吐露するのも、精神の安定には必要かもしれません。
このブログは、日頃語られないちょっぴりマイナスも含めて書こうかな。

そうは言っても、私の中には当然ながら指導者としての私もいます。
今日も選手に夢を語ることでしょう。
現実は自分の思うようにならないことばかり。だからこそ夢が必要なんです。
いつまでも子どもの心を持ち続け、夢を語り、追い続けるのが私の仕事。
そんなことで生活出来ているのは、
それって、ある意味凄いことだなぁと思います。

生かされていることへの感謝と、こんな私に付き合ってくれる選手や関係者の皆さんに感謝申し上げます。

さて、現実の世界に飛び込む時間です。
じっくり苦悩を味わってきます。
一瞬でも感動に出会えることを楽しみに。

行ってきます。
頑張れ武庫川!
頑張れワタシ^_-☆



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