前回のブログでも書いたが
秋の夜長に自分を見つめることは大切だろう。

しかし、方向性を間違えると
迷路に迷い込む。

人間は誰だって、楽しく暮らして行きたいと思うものだろう

夢に向かってキラキラと
ワクワクドキドキの人生を望む

ところが、楽しいと思い好きで始めたことが思うように行かなくなったり、
原因不明の心身の不調が襲ってきたりする

そんな時、
自分はなんの為に仕事をやっているんだろう?
その仕事をする意味を考えてしまう

人類が始まってから先人たちも同様に悩み、考えてきた

なぜに生まれ、なぜに死んで行くのか?
神は本当にいるのか?
運命は決まっているのか?

多くの偉人たちや哲学者も智慧を巡らせた

しかし、残念ながら誰もその明確な解答を導き出すことはできなかった。

青春の真っ只中で体操競技に励む若者たちも例外なく、この問題に悩む時期がある。

好きです始めて、楽しくて堪らなかった体操が、なぜだか楽しくなくなり、
苦しくさえなり、自分が体操を続ける意味を考えて、立ち止まる。

悩んだ時、一度立ち止まると、
次に歩き出すのはとても辛いものになる。

山を登っている時最初は頂を眺める。
あんな山に登ったらきっと気持ちいいだろうな。
そんな楽しい気持ちで登り始めるが、
山路は遠くで見るのとは違って険しく厳しい道のりだった。

歌を口ずさみながら頑張って登っていたのだが、いつしか口を閉ざし、
自分の苦しい息遣いだけが響くようになる。

立ち止まりたくなり、
もう引き返したくなる。
そんな時、少しだけ休憩しようと立ち止まり後ろを振り返る。

自分の歩いてきた道のりを眺めながら、頑張ってきた自分を慰労する。
上を見上げると、まだまだ頂上の見えない登り坂が霞んで見える。

ここで止めるか、進むか。
決断の時が訪れる。

生きるとは長い坂道を登るようなものだと言われるが、そんな経験のある人はなるほどと頷くだろう。

しかし、苦しい時に腰を降ろさずに足踏みをしながら、調子が戻るのを待つ人もいる。
この人は後ろは振り返らない。

ひたすら足踏みを続ける。

しばらくすると、また小さな歩幅で歩き出す。
一歩一歩だが確実に山頂に近づいて行く。

昨日も悩みの真っ只中の部員に対して
こんな事を話した。

悩むのもいいが、悩んだ時は行動すること。
じっと考えていても変化は生まれない。
足踏みを続けるんだよ。
悩んだ時は頭を空っぽにして動いてみよう。
汗をかこう。
そして、自分の行動を記録しよう。

過去を語るのをやめて(後ろを振り返ること)
今できることをやり、積み上げて行こう。
答えの出ない問いかけはやめて、
自分がコントロール出来ることに集中しよう。

そして、少しでも出来たことを仲間と共に喜ぼう。
頑張っているのはあなただけじゃないよ。

みんな必死で今日と云う日を生き延びている。
一日一日生き延びているうちに、心は少し変化して行くものです。

行動のあとに感情は動くのです。
悩んでいるなら、足踏みは続けよう。
頑張る今の中に未来はある。

さあ、来シーズンはもうそこまで来ています。
頑張れ武庫川‼