昨日は健康・スポーツ科学部と短大の健康・スポーツ学科の学生代表と教員が一緒になって、どうすれば大学生活が活性化し、充実した学生生活ができるかを考える会議、いわゆる「幹事会」が開かれた。

クラス制を設けている武庫川女子大ではクラス代表の学生が幹事と呼ばれる。この幹事全員と学科の全教員が一緒になって学科の将来を考えるそんな場があるって、他大学ではなかなか見られないものでしょう。

私は、これって素敵でしょ、と思っている一人でもある。

そんな会議の議題の一つに、
大学内でのジャージの着用についてどうすべきか?
ルールを作ろうというものがあった。

今は授業と登下校は私服であり、ジャージは禁止になっている。
しかし、この状況が少しずつルーズになっているというので、はっきりルールとして再確認しようというのである。

いろんな意見が出て、
グループ討議のあと各グループでの意見を発表したが、原則現状のルールに賛成が多い。
しかし、こんな時には例外を認めて欲しいとか、
別のケースはどうするのかとか
どこでジャージを着るのは良くて、そこではダメとか色んな提案があり、次々と例外事項が飛び出す状態になっていた。

そんな時、新任の一人の教員が発言を求められた。

彼は、こんな話を始めた。
なぜジャージはダメなのでしょうか?
自分が大学時代はほとんど毎日がジャージで生活しており、私服で登学したのはほんの数日だった。
ジャージでの生活は快適であり、機能性にも富むジャージはとても動きやすく過ごしやすかった。
しかも、クラブのジャージには誇りさえ持っていた。

今議論している内容はジャージは悪いもの、公の場で着るのは汚くて衛生的ではない、ダラけた印象を与えるから規律を乱すなど、ジャージが悪者になっている。

本当にジャージが悪いのでしょうか?

本当に考えなくてはいけないのは、
それを着ている人間なのではないですか?

世間の人のジャージに対するイメージはそれを着ている人のイメージなのでしょう。

例えば、白衣を着て学内を歩いている人に不快感を覚えるでしょうか?
白衣は作業着なので綺麗な物ではないでしょう。
しかし、逆に研究者らしいと好印象を持っているかも知れません。

問題は、ジャージを着ているものが、ダラダラした行動をしていたり、
品がなかったり、
大声で騒いだり、
大勢で道をふさいで歩いたり、
行動が乱暴であったりするからなのではないでしょうか?

大切なことは、ジャージを着ている我々が尊敬に値する行動をとることであり、
ジャージを着ることが誇れるように振舞うことなのです。


これを聞いた時、思わず拍手している自分がいた。
会場中のみんなが拍手していた。

物事の発想は、その本質を見抜くこと。
そんな発想に触れた時、人間の知性や人柄に感銘を受けるのだ。

素晴らしい発想と人柄を持った若者を尊敬した。
武庫川女子大もいい人材をとってくれたなあと。
同時に、みんなも同感してくれたことに嬉しい気持ちになった。

結局、
この服装問題はこれまで通り講義科目は私服で受け、後は社会人としての良識を持って判断しようということになった。

なかなかいい会議だった。

ルールを考えることは、そこにいる人間を見つめ直すことになった。

いつも物事の本質を見抜く目を持ちたいと思った。

頑張れ武庫川。
頑張れ私。
デスね。











iPhoneからの投稿