今日テレビを見ていた時、ある老夫婦が槍ヶ岳に登った話をしていた。

何気なく聞いていると、他の山にも沢山登っていると云う。
ここまでは何の興味もない話しだったが、次の瞬間頭に衝撃が襲った。

それは、なぜ山に登るかの訳について語り出したからである。

老夫婦が云うには、
山に登っている時はその山が見えない、山頂に登っても他の山は見えるが自分の登った山の姿が見えないと云うのである。

だから、次には前に登った山を見るために別の山に登るんだとか。
そうして登った山の頂きから、
その山の尾根を眺めながら、その時の苦労や思い出を語り合うのだとか。

山に登ると次に登りたい山も見えてくる。
そんなことを繰り返している内に沢山の山に登ってしまったそうだ。

ガーン(((゜д゜;)))

これを体操やスポーツに置き換えて考えてみると、

昨年取り組んだ課題と結果は山に登ったみたいなもの
では今年の課題に取り組んでいる今の姿の全貌は今は見えないということ。

来年になって、今年の試合を振り返る時に初めて、あの時は苦しかったとか、あそこをこうしておけば良かったとか、
あの頑張りがこの結果に結びついたとかが理解できる。

だから、毎年毎年これまで登った山を振り返りながら、新たな高い山を目指してゆくんだと。

ところが、ここでもう一つ気づいたのは、
その山のに登る仲間は毎年異なるということ。
だから去年のビデオを見ていても、その試合や準備の練習を体験した者とそうでない者がいるから、そこに見えている景色は当然ながら違うということだ。

ビデオを技術解説のみで見ているのではなく、過去の自分の生き様を通して見ているのだと気づいたのである。

こんなことは当たり前のことで前から知っていたよと言われるかもしれない。

しかし、分かるということは、知識で知っていることとは違う。
心で感じることである。

まさに、そんな一瞬の会話の中の物事の本質に触れた体験を嬉しく感じてた。

去年の本気と今年の本気はレベルが違う。去年のチームの頑張りと今年のチームの頑張りは違う。
だって違うメンバーと違う山に登ろうとしているのだから。

そう思うと、結果は来年振り返ればいい、今は今にベスト、本気で一歩一歩登るしかない。
どんな景色が見えるのか、今登っている山の頂は遠いが、その姿を現すのは後60日後。

楽しみでもあり、心配でもあり。
不安の中に成功はない!
とにかく、前に一歩。

追伸:
最近読んだ本
こんなのも影響してるのかなぁ

photo:01


photo:02


photo:03


photo:04


頑張れ武庫川‼



iPhoneからの投稿