複雑な秀作だと思う。ビリー・エリオット(2回目) | Gwenhwyval(グウェンフウィファル)の舞台日記

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鑑賞は生中心主義。自分の眼でライブで見たことを中心に、語ろうと思います。


2024年9月1日12時30分公演

ビリー:井上宇一郎
お父さん:益岡徹
先生:安蘭けい
トニー:西川大貴

本公演、2回目を見に行きました。
1回目は既出のごとくいろんな不運に見舞われて一幕目を見られなかった…。まあ、初見ではないからストーリーは知ってたとはいえ、やはりいきなり二幕目からは入り込めず😭
2回目を楽しみにしていました。
この日も、雨…。

この作品に出ていた知り合いも言っていたのだけど、これはビリーのサクセスストーリーなだけじゃない。(ビリー、学校受かったまでの話だし)
宣伝がそこに偏ってるよなーとは彼の弁です…まあ、そうしたアプローチの方が、人が入るという判断なんだろうが…。子どもと動物には勝てない、と言いますものね。

①うしなわれる職業というもの
20万人の男が職を喪う、炭鉱の閉鎖。転職当たり前な今の若い普通人にはわからなかろうが、それは情報少なき時代にどんなに打撃だったことだろうか…個人としても、コミュニティとしても。
今だってそうですね。過渡期だから緩やかに進んでるだけで、雇う側としたらITダメな人に与える職はない。
私の友人で、廃坑のまちの学校で働いていたひとがいるのですけど、生活保護?給付金?が出るので働かない人ばかり、そういう親をみていると子どもも「努力」とかしなくなるのだそうです。そういう副産物というか、連鎖があるんだなあ…。

ストライキを潰そうとする警察の「盾」の揃い方もまた素晴らしいのだけど、あれは、ビリーの前に立ちはだかる「階級の壁」でもあるのだろうな、と思いました。

③職場における男尊女卑
昔…産業革命以前は、働くということは人的エネルギーの消費、すなわち肉体労働だったのよねーと、今更ながら。筋肉量=仕事量(質より量)。
だから男が働いてたのだ。
頭脳労働ならべつに男も女もない。その伝統の残像がまだあちこちに漂ってるだけなのね。頭の硬い人たちとか、働きたくない女たち(あ、別に選択肢としては働かなくてもいいと思いますよ!ひとの足を引っ張らないでねと思うだけ。みんな一緒がいいとか、子どもじゃないのでね)のなかに。時代違うの分かってね。

③葛藤なきもの
周囲の理解がないとかお金がないとか自分の才能に疑問もったりとか…そういう葛藤こそがクリエイティビティを生む。それでも私がこれをやりたいのは何故なのか、何をしたいのか。その絶え間ない問いかけがひとのこころを動かすパフォーマンスとなるのだ。
いつかビリーを目の当たりにした上流階級の学生が、自分にない葛藤とエネルギーの発露に愕然とすることだろう。
ある友人は「上流には上流の葛藤があるじゃないの」というのだけど、それは生きるか死ぬかの葛藤とは質が違う。ま、「あの人より下座に座らされた」みたいなちっさい話?(笑)。それに、下の人をみて発散したりしてますし。そんな話ではないのです。

…とまあ、バレエファンなのに、全然違うことを考えてしまいましたよー(笑)。
別の友人は「詰め込みすぎ」って言ってましたが、いやいや、いろいろなファクターが入り交じっていて、その時その時で別のことを感じたりできる、とてもいい作品!だと思ったのでした。

だって、人生は、複雑なんだもの。