2年目、その2回目の「ムーラン・ルージュ」 | Gwenhwyval(グウェンフウィファル)の舞台日記

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鑑賞は生中心主義。自分の眼でライブで見たことを中心に、語ろうと思います。


2024年7月6日13時公演

初演だった昨年は、なんだか私までドキドキ&浮き足だっていて…。
もちろんのぞみさんのステージだから贔屓目で何でも素晴らしく見える。そして賞なんかももらっちゃったりしたのもありで、自分でもきちんと観られていたのか、今となっては分からない。

再演である今年、少しは腰を落ち着けて観られたのか…いろんなことを思いながら観ました。

どこかで、こういうジュークボックス・ミュージカルのやり方は、歌重視なのか芝居寄りにするのか?みたいな話を読んで、なるほどなーと思った。
ジュークボックス・ミュージカルというのは、私もよく知らなかったのですけど「マンマ・ミーア」とか月組の「I'M  FROM  AUSTRIA 」のような、ヒット曲を繋げて物語にする、というジャンル?のよう。「マンマ・ミーア」はとてもよかった。
あくまで歌をひとつずつ聞かせる?それともお芝居の中の歌として語る?
ひょっとしたら、私がときどき思う、ドラマ歌手とコンサート歌手の違い…みたいなものなのかも。

のぞみさんの2年目サティーンは、より「ドラマ寄せ」になっていたように思いました。歌い上げる、というところももちろんありましたけど、心情をのせた「語り歌」のような歌唱も目立ち、メリハリがきいていた。まあ、もちろん結核の人がこと切れる直前までガツガツ歌えるというのも変といえば変で😂これは「椿姫」の昔から言われていることなんでしょうけど。

そのせいなのか、私がドキドキせずに聞いていられるようになったせいなのか、サティーンだけでなく周りの人たちの心情にも思いがひろがりました。
クリスチャンの、サティーンへの若い憧れ…それを最初は怖れ、撥ね付けながらも熱に押されていつしか応えていく彼女の躊躇いと幸せ。クリスチャンの生命が狙われることを恐れて手酷く拒絶し、ひとり咳と涙で消耗するサティーン。彼女はいつ頃から自分の生命の期限を知っていたのだろうか…。
(こんなこと言っちゃ身も蓋もないけど、やはり甲斐くんの方がイメージとして近い。仕方ありませんね。)

それと、トゥールーズ・ロートレックの切ない恋。「私の天才…!」ではいつも目頭が熱くなる。
当事者として苦しむのと、傍観者として近くにいるのと、どちらが辛いのか。
女たちがみんなでサティーンを庇うのも泣ける。

歌とお芝居の洪水の中に挟まれるダンスシーンでも、望海風斗はキラキラと輝いてゼロ番に立ち、威風堂々と両腕で天を指す。美しい見せ方では、宝塚出身者に敵うものはいない。
この人を、2年続けて帝国劇場の主演女優として観ることができようとは…。なんて幸せなんだろう。
そう思うとやっぱり泣けてくるのでした。

来週は、平原さんと井上さんでも拝見します!もう、めちゃくちゃ楽しみです。
私も何か、赤いものを身につけて行こうかな。ネックレスとかサンダルとか…。