ぐわっぱのできるかな

ぐわっぱのできるかな

考えたことや表現したいこと、活動の履歴。

Amebaでブログを始めよう!
例のごとく、一年近くぶりの更新です…とはいえブログ更新に命をかけているわけでもないので、これからも同じくらいのペースでぼちぼちやっていきたいと思います。

最近引っ越しました!まともな形で引っ越したのはこれが初めてなので、なかなか色々なことに慣れていけず困っているところです。とくに、今までの暮らしで当たり前だと思っていた物がない、というのはストレスですね!ただそういったストレスから、自分のこだわりがわかるのも確かです。

今回はトーストについて。つい最近まではトースターがあったので、がしゃんと入れてしばらく待てばおいしいトーストができる、というのは当たり前でした。ところが今持っているトースターは、そんな生易しい物ではなかった…どうしても、中はカリカリ、外はガリガリなトーストになってしまって困っています。今にして思えば、「外はカリカリ、中は(多少)ふかふか」というのは、自分にとってのトーストの黄金比なのだなと思います。

恐らく問題は、焼くときの外側の温度(あとは熱容量か)と焼く時間なのではないかと思います。カリカリにするにはパンをそこそこ熱してやる必要がありますが、おそらく時間がかかりすぎる(そしてトースターの熱容量が大きすぎる)と、内側の水分も逃げてしまって「中もカリカリ」になってしまうのでしょう。

そこで、外側の温度をできるだけ高くしておいて(温度MAX + 予め熱しておく)、できるだけ短い時間パンを入れる、ということをしたかったのですが…今回のトースターはタイマーがツマミになっているのですが、例によってこのツマミがいまいち言うことを聞いてくれない!ツマミを5分以下のところに持っていくと、5分後にうまくヒーターが切れてくれないのです。しかも、どうも「予め10分にしておいて、あとから5分にする」方法でもうまくいかないようで…困った。

やはりタイマーを別に買って、うまく自分で出し入れするしかないのでしょうかね。まあフライパンで焼くのに比べれば、ずっと見ていなくてよい分確かに楽なのですが。トースターとの押し問答はしばらく続きそうです。
相変わらず、仕事も生活も「三歩進んで二歩下がる」という状態が続いています。最近は「暇つぶしの仕事」も増えてきたので、以前のようにメインの仕事が完全にストップしても無駄に苛立つことなく、良くも悪くも諦めの境地に達しつつある気がします。もちろん、色々自分でできるようになってきて、人に頼まないといけない場面が減った、という側面もありますが。

しかしそれはそれとして、「三歩進んで二歩下がる」以外の仕事の進み方が想像できない、というのも正直なところです。振り返ってみると「三歩進んで三歩進む」みたいなことが今までの人生で起こったことがないように思うし、実際に「三歩進んで三歩進む」みたいなことが起こると、逆に怖い気がします。「こんな簡単に物事が運んでしまってよいのだろうか、何かこの先にどんでん返しが待ち構えているのではないか」と疑心暗鬼にかられてしまうのではないかと思うのです。

そもそも「二歩下がる」場面も、たいがいは悪いことばかりではないように思います(もちろん、どうしようもなく悪い影響しか及ぼさないものもありますが)。少なくとも私が直面するものはだいたい、「今まで問題ないと思っていたところに実は問題があって、それが表面化した」ということが多いです。そういう意味では「三歩進んで二歩下がる」という状況は、自分の仕事のディテールを少しずつ掴んでいくというプロセスでもあり、自分の経験値の源になっているようにも思うのです。

というわけで、むしろ問題は「下がる」こと自体ではなく、そこで生じた問題を他人に任せざるを得ない状況の方ですね。自分のコントロールを離れる上、他人の仕事が自分の期待通りに進むわけでもないから焦るわけです。一番簡単なのは「全部自分でやる」ということですが、そういうわけにはいかない場合は、いったいどうするのが幸せなのでしょうね。
ずっと見たい見たいと思っていた映画を見ました。倒れてしまったためにベルリンの壁を知らないお母さんのために、主人公のアレックスが「壁崩壊などなかった」かのような生活を演出していく、という話です。どんどん変わっていくベルリンの街に対してアレックスが固執する「東ベルリンの生活」のギャップがコミカルで面白い一方、「アレックスのこの行動はいったい何なのか?」という問いが常に頭をもたげてくる話でした。以下ネタバレになりますが、超真面目に感想文を書きます。

アレックスの「お母さんにショックを与えてはいけない」という主張、そしてそれを理由にした東ベルリン再現の「努力」は、姉夫婦や恋人、同僚など、色々な人との摩擦を引き起こします。とくに周りの人は「もういっそ真実を伝えたほうがいいんじゃない?」とアレックスを諭そうとしますが、彼は全く聞き入れずに自分の道を進もうとします。結局のところアレックスがやっていたのは、お母さんのことを口実にして、自分が引きずっている「東ベルリンの幻影」に形を与えることだったのではないかと思います。

そうこうするうちに様々な問題が起こってきて、最終的にはアレックスの東ベルリンも、彼なりの形で「統一」を果たすことになります。映画の中で本人が語っているように、それはアレックスが思い描いた「あるべきだった統一の形」だったのだと思います。そしてそうすることでやっと彼は、自分の中の東ベルリンの思い出を思い出として消化することができたのかな、と感じました。

なんていうアレックスの葛藤を、お母さんは最終的にはお見通しだったのではないでしょうか。精一杯自分なりに東西ベルリンの統合を描いてくれた息子の気持ちとその成長、そしてそれを含めた今までの自分の人生に対する満足感、そういったものが、最後のお母さんの表情に現れていたのかな、と感じました。最後のあの表情を見るためなら、もう一度見てもいいぐらいかもしれません。
そんな余韻の残る、よい作品でした。