絵画BLOG-フランス印象派 知得雑話 -274ページ目

雑話5「日本人の印象派の弟子」

デビュー当時は未完成だのと散々の評価を受けた印象派ですが、芸術運動としてフランスのみならずヨーロッパ、そして世界中に影響を及ぼして行きました。


日本でも、パリで留学していた黒田清輝が導入した印象派以後の外光描写は「外光派」と呼ばれ、日本の洋画界に大きな変革をもたらせました。黒田清輝と言えば、美術の教科書に必ずと言って良いほど掲載されている「湖畔」が有名ですが、印象派とはまた違った雰囲気ですね。


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黒田清輝「湖畔」1897年


その後、やはりパリに遊学に来ていた梅原龍三郎が、当地の美術館で初めて見た本物のルノワールの絵に感動して、カーニュまでルノワールを訪ねていきました。それからも頻繁にルノワールのアトリエを訪ねては作品の批評を受けた梅原は、ルノワールの弟子と言っても差し支えないでしょう。


パリでルノワール風の絵を描いていた梅原は、帰国後は日本の油絵の開発を目指して工夫を重ね、独自の画風を編み出しました。


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梅原龍三郎「竹窓裸婦」1937年


現在、梅原は安井曽太郎と並んで日本の近代洋画界の双璧となっていますが、結果的に印象派の影響がなければ、日本の近代洋画界はまったく違ったものになっていた事でしょう。


余談ですが、後年すっかり変わってしまった梅原の作品を見たルノワールは、「下手になった」と嘆いていたそうです!