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雑話102「ジヴェルニーのモネの家③・・・モネの庭造り」

ジヴェルニーのモネの家の魅力の一つが、その美しい庭園です。


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現在のモネの家の庭園

モネはジヴェルニーに移る前から、庭仕事が大好きでした。しかし、それまでの借家住まいでは大きく庭をいじることができませんでした。


ジヴェルニーに住みはじめてから、何年もの歳月と莫大な費用をかけて作り上げた庭は、それ自体が傑作とみなされるものとなりました。


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現在のモネの家の庭園

1883年にジヴェルニーで最初に購入した家は「ル・プレソワール(りんご絞り機の家)」と呼ばれていました。


数年後、近隣の「ブルー・ハウス」を購入してから、モネは「ル・プレソワール」周囲の土地にさまざまな土地の草花と異国の高価な植物とを組み合わせて、2つの温室を設置しました。


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モネの家の庭園に咲く花々

ジヴェルニーの庭の花々は、もともと絵画制作用の切花にするために植えられたものでしたが、やがて庭そのものが芸術作品となり、モネは庭を丘や草原では不可能な柔軟性のある完璧な絵画の主題と見なしはじめたのです。


奔放に伸び放題のジヴェルニーの庭は、フランスの伝統的な庭園とそれほどかけ離れていたわけではありませんが、「水の庭」は日本的雰囲気を出すために作られたものでした。


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モネの家の「水の庭」にかかる太鼓橋

1893年に、モネはリュー河の水流の一部を、新たに買い入れた池に流し入れる許可を申請しました。モネは新鮮な水と丁寧な手入れが必要な、数多くの珍しい植物を植えた蓮池を作りたかったのです。


村人たちは河を家畜用の飲料水と洗濯場として使っていたので、彼らの多くが反対しましたが、交渉の結果、池の話は進み2度の拡張工事が行なわれました。


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モネの家の拡張計画図面

庭のための新しい計画が形を整えてくるにつれて、それらはモティーフとしてモネを魅了し始め、主題としての庭と、それ自体芸術作品としての庭との境界がますますあいまいになっていきました。


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クロード・モネ「睡蓮の池と日本の橋」1899年

蓮池造営の許可が下りると、彼は私有地をさらに広げ、古い庭の華麗な花床は最終的に道路を隔てた向こう側の土地の、太鼓橋のある「日本風」水庭によって完全なものになりました。


すると、庭そのものが国際的に有名になり、当時でも日本のような遠い国からも訪問客がやってくるほどになりました。


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(左から)モネ、リリー・バトラー、黒木夫人

※太鼓橋の上にて、1921年

ちなみに、現在の庭は大量の観光客を受け入れるために、手を加えられています。


例えば、モネの庭はもともと夏の間の数ヶ月だけ花が咲いていましたが、今ではあらゆる季節に訪問客に見世物を提供できるように、一年を通じて休みなく手が入れられていて、うまく「自然な」外観を作り上げています。


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