絵画BLOG-フランス印象派 知得雑話 -169ページ目

雑話109「モンパルナスの女王・・・キキ」

エコール・ド・パリの画家たちが活躍していた1920年代のモン・パルナスに、彼らのアイドルとして君臨した女性がいました。


絵画BLOG-フランス印象派 知得雑話

マン・レイ「ベールをかぶったキキ」1922年、写真

モンパルナスの女王と呼ばれたキキという女性です。


彼女の本名はアリス・プランといい、ブルゴーニュから戦時下のパリの軍需工場に働きに出てきていました。モンパルナスのカフェに出入りしていたキキは、そこで貧しい画家たちと知り合い、16歳の時からモデルをつとめるようになりました。


マッチの燃えカスで眉毛を黒く塗った姿を売春婦と間違われることもあったそうですが、その10年後にはパリの雑誌や新聞を賑わせるほど有名になったのです。


キキはシュールレアリスムを代表する写真家のマン・レイの愛人となりましたが、その一方で画家のキスリングの恋人にもなりました。


絵画BLOG-フランス印象派 知得雑話

モイーズ・キスリング「赤いセーターと青いスカーフのモンパルナスのキキ」1925年

画家や映画監督からも愛され、ルネ・クレールの映画の登場人物や藤田嗣治の絵画のモデルとしても人々を魅了しました。


マン・レイが撮影した写真の中のキキはどこか崩れた美しさで男性を挑発しています。


彼女は白く良く光る歯を持っていて、それを見せびらかすために薔薇をくわえるのが好きでした。


絵画BLOG-フランス印象派 知得雑話

キキ、マン・レイ撮影

※キキのブロマイドは30万枚も売れたそうです!

ポーズをとっているとき、景気づけにオペラ歌手のまねをしてキスリングに大笑いされたことがきっかけとなって、キキは有名なナイトクラブ「ジョッキー」に歌を歌いに行くことを思いつきました。夜に2度、彼女は卑猥な一節に力を入れて、大声でシャンソンを歌いました。


「3人の金銀細工師」「カマレの娘たち」「荷車引きの女」など彼女が喝采を浴びたシャンソンはパリの浮浪者のものでした。それから、彼女はクロークから借りてきた客の帽子を持って客席を回り、チップを集めました。


絵画BLOG-フランス印象派 知得雑話

藤田嗣治「ジュイ布のある裸婦」1922年

※キキをモデルに描かれたこの作品はサロンでも好評を博しました

そんな妖艶な美女も、その末路は憐れでした。第2次大戦後、アルコールと麻薬に犯された彼女は喘息もちのジプシー女のように落ちぶれ、「クーポール」に食事に来た客に「手相を見ましょう」と声をかけながら、テーブルからテーブルへ身体を引きずるようにして回っていました。


キキは50歳で亡くなりましたが、その葬列はまるで謝肉祭の行列のようでした。花輪にかけられたいくつかのリボンには金文字で「ジョッキー」「ジャングル」「ドーム」「クーポール」など彼女が活躍したナイトクラブの名前がしたためられていました。


それらは彼女の幸薄い人生の各段階を示すものでした。すでに有名になっていたモンパルナスの画家たちのうちでたった一人、藤田嗣治だけがティエスの墓地まで彼女の遺体に付き従いました。


葬儀を伝えたパリの新聞もこう記しています。

「モンパルナスの女王キキはもういない。思い出に忠実なフジタは、レネック病院でその遺体に弔意を表した。」