雑話139「ロンドンの象徴:国会議事堂」
今週も引き続き、オリンピック開催地であるロンドンに因んだお話をさせていただきます。
ロンドンでもっとも有名な建築物の一つである国会議事堂(ウェストミンスター宮殿)は、先週ご紹介したようにモネの連作のモチーフにも選ばれました。
ウェストミンスター宮殿(国会議事堂)1835-68年
ゴシック様式で有名な国会議事堂ですが、ゴシック様式は中世ヨーロッパで教会建築などによく採用されたもので、先のとがった尖塔アーチやステンド・グラスが特徴です。
しかし、現在の国会議事堂はそれほど古いものではなく、1834年に焼失した旧宮殿の跡に建てられた比較的新しいものなのです。
J・M・W ターナー「国会議事堂の火災」1834年
新宮殿にゴシック様式が採用されたのは、中世以来議会が開かれていた旧宮殿の敷地の歴史と、残された建物の様式に配慮した結果でした。
新しい宮殿はチャールズ・バリーとオーガスタス・ウェルビー・ピュージンという二人の建築家の手によって設計されました。
設計競技に入賞したバリーが平面計画、構造、構成、内外のプロポーション、そして各部の空間的、概念的な関係性を決定しました。
ウェストミンスター宮殿主要階平面図
しかし、細部については正確性を期するために、ゴシックの装飾的知識の豊富なピュージンの手を借りることにしました。
ピュージンは、外部の細部意匠とともに、数千枚におよぶ木部、金具、ステンドグラス、タイル、そして壁紙の図面を描いて、この宮殿の室内意匠の装飾的性格を決定付けました。
ウェストミンスター宮殿、中央ロビー
豊かで密度の高いピュージンの装飾は、バリーによる建築的外形の明快さによって制御されていて、南端に力強いヴィクトリア・タワー、北にビッグベンの時計を内蔵するひだ飾りのついたエリザベス・タワーという非対称形のアクセントを中心にして、斜めに変化をつけた全体の構想によって支えられています。
ウェストミンスター宮殿、ヴィクトリアタワー
1835年から始まった彼らの壮大な作品は、1868年になるまで完成しませんでした。
その間に、ピュージンは無茶な過労から肉体と精神を病んで、1852年に没し、バリーもまた1860年に死去してしまいました。
ウェストミンスター宮殿、エリザベスタワー
※エリザベス2世の在位60周年を記念してクロック・タワーから改称
そこで、バリーの息子であるエドワード・ミドルトン・バリーが残りの段階の設計管理を行うことで完成することができたのです。
この見事なゴシック様式の建築物である国会議事堂は、外部はもちろん国会が行なわれている内部まで見学することができます。
ウェストミンスター宮殿、上院議場
残念ながら、下院議場は第2次世界大戦で被災し、当初のものよりも簡素に再建されてしまいましたが、宮殿でもっとも圧倒的な上院議場をはじめとする内部の装飾は一見の価値ありです。






