2.江戸後期の気象変動が明治維新へとつながっていく!
5つのテーマの中で最も知られている内容かと思います。
江戸の中後期は飢饉が次々と発生し、百姓一揆や打ちこわしが次々と発生します。
幕府が弱体化する時期とそれが重なったことが、より事態を悪化させたのだと推測します。
天明の大飢饉と天保の大飢饉が発生したことで、
徳川吉宗の時には民衆に受け入れられた緊縮政策を、
松平定信や水野忠邦の際には受け入れる余力が無かったのでしょう。
どうやらこの時期の日本の気象は冷夏だった年が多いようで、
一定以上の年齢の方には記憶にあるであろう1993年のような気候が特徴的です。
タイ米の輸入で話題になった年ですね。私が中学1年生の時です。
梅雨のような気候が8月一杯まで続き、コメの作柄が非常に悪くなりました。
やませが吹いて特に東北や関東の太平洋側は、平年よりも相当涼しい夏になったはずです。
1993年の冷夏の原因として挙げられるのが、
2年前に発生したフィリピン・ピナトゥボ山の噴火です。
これは20世紀最大の噴火ですが、空気中に大量のエアロゾルや塵が放出され、
それが1年余りの間で世界中に広がり、2年後の夏に日本は大冷夏に見舞われた訳です。
平成の世の中でも大きな混乱が起こるような冷夏。
これが科学技術が未発達な江戸時代に頻発したのですから、世が乱れるのは当然です。
江戸時代の冷夏の頻発は、
1つ目の理由は太陽活動の低下期にあたったからだというものです。
そして2つ目の理由として、日本の火山活動が盛んだったというものもあるでしょう。
代表的なものとして1707年に富士山の宝永大噴火。
1775年に三原山の噴火、1779年に桜島の大噴火、1783年に浅間山の大噴火などがあります。
後半の3つは天明の大飢饉(1782年~87年)に関係していることは間違いないでしょう。
平成の大冷夏と違うのは、富士山や浅間山の噴火は火山活動自体が、
農作物や人間の健康に直接害を与えることです。
したがって非常に大きな影響があったと考えられるのです。
次に日本列島で火山活動が盛んと言うことは、大地震も多く発生しました。
1703年:元禄関東地震 M8.1~8.2
1707年:宝永地震とそれに伴う津波→1カ月半後に富士山噴火 M8.5程度
1854年:安政東海・南海地震(32時間差で発生) ともにM8.4
1855年:安政の大地震(江戸を直下型地震が襲う) M7.0~7.1
特に1850年代の地震は黒船が襲来して、日本全体が混乱している時期。
’西郷どん’でも安政の大地震が描かれていました。
幕府の気持ちを弱気にさせたことは間違いなさそうです。
(アメリカやヨーロッパの公使も大変驚いたでしょうが)
まとめると江戸時代後期は、寒冷化・火山活動の活発期・大地震の頻発の時代です。
幕府を倒す勢力となった薩長土肥が全て西日本なのも、
この寒冷な気候がより西、より南の地域に有利に働いたのだと解釈できます。
そして幕末の大転換期は人為的なものと同時に災害の多発がそれを後押ししたと言えます。
「幕末の舞台が江戸ではなく京に移ったのは、地震の影響もあったから」
最後は私の勝手な解釈です。
京都はさすが1000年の都。災害については少ない土地だと言えますね。
歌川広重の作品。舞台は静岡の清水の蒲原。
静岡は本州でも最も雪の少ない場所ですから、この絵も江戸時代が寒かった証拠になりますね。