気楽にト-ク -112ページ目

サッシ

サッシメーカーの吉田工業が「サッ(3)シ(4)」の語呂合わせから制定。サッシの普及をPRしている。サッシとはもともと窓枠の意味だが、現在では一般にアルミ・サッシなど金属製の窓枠を指す。

machine

1990年にミシンの発明200年を記念して日本家庭用ミシン工業会が制定した。由来は「ミ(3)シ(4)ン」の語呂合わせ。ミシンは1790年にT・セイントが発明したとされているが、正式には1846年に初めてアメリカのE・ハウが特許を取った。日本へは1860年、ジョン万次郎がアメリカから初めて持ち帰った。ちなみに「ミシン」は英語のmachineを日本語読みした訛からきている。

3月4日の出来事

1053年:藤原頼通が宇治の平等院鳳凰堂を完成
1771年:前野良沢・杉田玄白らが腑分けを見学
1788年:老中・松平定信が寛政の改革を始める
1806年:江戸に「文化の大火」が起こる
1861年:リンカーンが第16代米大統領に就任
1869年:明治政府が円貨の制度を定める
1951年:第1回アジア競技大会がインドで開催
1966年:カナダ航空の旅客機が羽田空港の防潮堤に激突。死者64人
1974年:高野連(日本高等学校野球連盟)が公式戦での金属バットの使用を許可

前野良沢・杉田玄白らが腑分けを見学

<今日の雑学>
1771年3月4日、江戸の千住小塚原の刑場で腑分け(解剖)が行われた。蘭学医の前野良沢・杉田玄白・中川淳庵は17年前に山脇東洋が初めて刑死体を見て書いた『臓志』を見て、漢方医の五臓六腑説に疑問を抱き、自分たちも実際に人体の内部を知りたいと考えた。そこで腑分けの許可を願い出、斬首された京都生まれの青茶婆という老女を腑分けすることになったのだが、医師が直接に死体に触れることは許されなかったため、雑役が腑分けするのを見学。ドイツ人クルムスのオランダ語訳解剖書『ターヘルアナトミア』を片手に見入っていたところ、その解剖図と一致していることがわかり、日本語訳することにした。彼らは翌日からこの難事業にとりかかり、3年4カ月後に『解体新書』として刊行。この間の苦心談は杉田玄白の『蘭学事始』に記されている。

ミシン

日本家庭用ミシン工業会が1990年にミシン発明200年記念として、「3」「4」の語呂合わせから制定。

時間切れアウト

ネットする時間が無く?
でなくて、アクセス困難となりました。
まだ半分なのに~
この方式は要見直し。
時間短縮も課題です。

ボディ-ソ-プ購入のためだけに

ボディ-ソ-プが無かったようで、
買ってくるよう依頼されました。
渋々と出かけていくのでした
(私の場合は石鹸等を使うんですけど)
ボディ-ソ-プは何でも良いそうです。
おっ!50円引きク-ポンがありました。
それではこれにしましょう。
でもボディ-ソ-プだけとはいかないので、
***、???、!!!、###、&&&、・・・
を買いました。そしてレジへ・・・
50円引きの紙が裏返しになっていて、
そのまま素通りなんです
レシ-トを確認して引いて貰いました。
(レシ-トは返してくれないそうです)

ジーコ

Happy Birthday
1953年3月3日生まれ
ジーコ(Zico、本名アルトゥール・アントゥネス・コインブラ〔Arthur Antunes Coimbra〕、1953年3月3日 - )は、ブラジル出身のサッカー選手、現日本代表監督である。「Zico」は「やせっぽち」の意味で、ポルトガル語ではズィッコ・ジッコのように発音される(ちなみに初めて日本語で「ジーコ」と表記したのは、サッカー評論家の大住良之である)。現在でも、ブラジルではペレと並ぶ国民的英雄である。
2002年にサッカー日本代表チーム監督に就任。2004年8月にアジアカップを制した後、翌年6月には2006 FIFAワールドカップ?の出場も決めた(この時、開催国枠で出場が決まっていたドイツを除いて世界最速の出場決定だった)。
2003年には母国ブラジルで過去30年で最も輝いた選手としてジーコが1位に選ばれた。ブラジル国民の大半がインターネットなどで投票し、2位のロナウドとはダブルスコアの大差でペレに次ぐブラジル歴代代表2位の66得点(89試合)を刻んだジーコが見事栄冠に輝いた。
サッカー日本代表の親善試合でイギリス遠征中、ジーコやスタッフの待機する控え室にベッカムが「少年時代のヒーローだった」と正装姿で突然訪れたり、ブラジル代表のアドリアーノがジーコのサインを欲しくて中田英寿に直接交渉したりと、現代のスーパープレイヤー達も崇拝する名実共に非常に優れたサッカー界の英雄であり、その知名度ゆえ各国のメディアに対する発言力も大きい。

グラハム・ベル

History recollection
1847年3月3日生まれ
アレクサンダー・グラハム・ベル(Alexander Graham Bell, 1847年3月3日 - 1922年8月2日)は、聴覚障害児教育の研究者、電話機の発明及びベル電話会社の設立で有名である。
スコットランドのエディンバラ生まれ。視話法の研究者メルヴィル(Alexander Melville Bell)を父に持つ。エディンバラ大学及びロンドン大学で学び、24歳のとき(1870年)に、余命6ヶ月の病を宣告されたことをきっかけに、父と共にカナダに移住した。ボストン大学で、音声の伝送の研究を行った。1876年に電話機を発明し、特許を取得した。なお発明直後にベルの下で視話法を学んでいた伊沢修二と留学生仲間である金子堅太郎が電話を使っており、日本語が世界で2番目に通話した言語になった。
ベルが電話の特許を取った2時間後に、シカゴのイライシャ・グレイ (Elisha Gray)が同じ特許を出願したが、ベルが先に出願していたため却下されたという話もある。失意のグレイはさらに上を目指そうと努力し、ファクシミリのと同様のものを発明した。
1877年にベル電話会社(のちのAT&T社)を設立。また、電話機の発明に対して授与されたヴォルタ賞を原資として、ヴォルタ研究所を興した。
1882年にアメリカに帰化した。エジソンと並びアメリカの2大発明家とも言われるが、性格的には偏屈であったエジソンとは違い、ベルは後に聾唖者のために尽力した人格者でもあった。

totoが全国発売

History recollection
2001年3月3日
スポーツ振興くじ(スポーツしんこうくじ)とは、Jリーグの指定された試合の結果あるいは各チームの得点数を予想して投票し、的中すると払戻金を受けることのできる公営ギャンブルの一種である。一般的にサッカーくじと呼ばれ、toto(トト)の愛称がついている。
文部科学省の指導監督のもと日本スポーツ振興センターが実施主体となり、りそな銀行(開始当初は大和銀行が2003年2月まで委託していたがあさひ銀行などと合併により同年3月から同社に移行)に販売業務を委託する形で運営されている。実際の売りさばき管理業務は日本スポーツ振興くじ株式会社に再委託されていたが、りそな銀行との契約が切れる2006年度以降は、くじ販売の金融機関への委託をやめると発表し、今後は主催者直売による販売が予定されている。
商品のロゴの下には「FOR ALL SPORTS OF JAPAN」とあり、サッカーのためにあるものではないことを主張している。