前野良沢・杉田玄白らが腑分けを見学 | 気楽にト-ク

前野良沢・杉田玄白らが腑分けを見学

<今日の雑学>
1771年3月4日、江戸の千住小塚原の刑場で腑分け(解剖)が行われた。蘭学医の前野良沢・杉田玄白・中川淳庵は17年前に山脇東洋が初めて刑死体を見て書いた『臓志』を見て、漢方医の五臓六腑説に疑問を抱き、自分たちも実際に人体の内部を知りたいと考えた。そこで腑分けの許可を願い出、斬首された京都生まれの青茶婆という老女を腑分けすることになったのだが、医師が直接に死体に触れることは許されなかったため、雑役が腑分けするのを見学。ドイツ人クルムスのオランダ語訳解剖書『ターヘルアナトミア』を片手に見入っていたところ、その解剖図と一致していることがわかり、日本語訳することにした。彼らは翌日からこの難事業にとりかかり、3年4カ月後に『解体新書』として刊行。この間の苦心談は杉田玄白の『蘭学事始』に記されている。