振り返って(息子の記録 終) | 一人息子は会話のできない自閉症~ときどき不妊治療~

一人息子は会話のできない自閉症~ときどき不妊治療~

いや、まだ一人息子と決まったわけじゃないけど。息子6歳。一往復の簡単なコミュニケーションはできます。会話できませんがエコラリアは天下一品。障害児育児と不妊治療の愚痴を綴った本音ブログ。



 





「自閉症」と診断されてから市の療育や児童発達支援事業者など各方面にその旨を伝えました。

 

 

療育に来ているママ同士で

「○○病院で診断された」という話題がよく交わされていて

 

3歳は診断ラッシュだと思います。

 

 

保育園探しもすることになりますが

 

そのとき住んでいた市では「障害児枠」(そんな名称ではないけど)というものがあって

わずかな点数加算がありました。

 

 

加算点数は微々たるものですが、就業していなくても保育園に預けることは可能でした。

 

 

不妊治療で頻繁に病院通いをしていた私は、ありがたかったです。

 

 

(現在はそういうものがない市町村に引っ越したので、不妊治療と仕事でヒーヒー言っていますニヒヒ

制度の有無は市町村によります)

 

 

その後、療育と児童発達支援事業と並行して利用していましたが

 

発達を促す方法をいろいろ調べていると

「ABA」と「栄養療法」にたどり着きました。

 

 

それぞれの取り組みについての詳細はまた記事にしたいと思います。

 

 

これまでを振り返って

 

3月になり、市の療育は終了。

同時に受給者証を返納し、児童発達支援に通うことも終えました。

 

 

4月からは加配の先生についてもらいながら、公立の保育園に通い始めました。

 

 

それ以降はブログでアップしている流れです。

 

 

産まれてから診断されるまでのモヤモヤ期。

診断されてから障害受容までの暗黒期。

 


今は少しずつ障害受容ができつつあるのかなと思います。

 

 

今までの歩みを振り返って思うのは

 


息子に何かあれば早期発見をしたいから1歳から定期的に病院にかかって相談もしていたのに

 

障害の診断も、療育の始まりも遅くなってしまったという結果に不満があります。

 


また、情報は自分から取りに行かないと得られないということです。



不満の要因は

 

・医者が専門医じゃなかった

・引っ越しで環境がリセットされた

・発達障害という疑惑をもてなかった

 

 

が考えられます。

 

幸か不幸か医者も含めて「もしかして発達障害じゃないか?」と言う人はいませんでした。



「障害」というセンシティブな内容ゆえ

こどもの発達が遅いと相談しても

「男の子は遅いって聞く」

「そのうち一気に喋りだすかも」という内容になりがちです。

 


兄嫁のお母さんは小児科医で、兄の結婚式で会いました。

当時8ヶ月の息子の様子を見て「これは・・・・」と言ったそうです(父談)

 

 

もしかしたら発達の遅い息子を見て、自閉症の疑いを持ったのかもしれません。

もしそうだとしたら、結婚式という場もあり「もしかしてこの子自閉症かもしれませんよ」とは言えなかったでしょう。

 

結果的には自閉症だったので、言ってくれたほうがありがたかったですが笑

 

 


後悔のない育児に


反対に、いらない意見やアドバイスを言ってくる人もいるかもしれません。

 


「この子発達障害かも」と言われることで

 

気にしすぎてせっかくのかわいい乳児期の育児を楽しめなくなる可能性もあります。

 

 

結果的に私は、発達障害の疑いを持たなかったことで鬱々とした育児はしなくて済みました。



もし、自閉症かも…という考えに支配されていたら、友人も親戚もいない見知らぬ土地でのワンオペで精神を病んでいた可能性もあります。



障害の発見の遅れと療育の始まりが遅かったことに不満はありますが


後悔はありません。



それは息子にもし何かあったとしても、今自分ができる最大限のことをしようと思って過ごしてきたからです。

 


定期的に病院にかかったり


毎日の読み聞かせや


親子のスキンシップ


いろいろなところに連れて行ったりなど。




今できることを一生懸命していれば

結果がどうであれ悔いはないはず。



自閉症は早期療育が有効と言われています。



何かこどもに気になるところがあれば、

万が一という可能性を頭の隅に入れて

早めに専門医に診てもらうことが有効かと思います。