過去の話し。

 

 

 

第一子出産を振り返る①

の続きです。

 

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予定日超過5日目にも産婦人科を受診しましたが、二日前と状況は変わらず全く産まれる気配なし。

 

私は焦り、不安、落ち込み、酷い精神状態でした。

予定日超過がこんなにも辛いなんて思ってもなかった。

お腹の中の赤ちゃん無事なんだろうか・・・

昼も夜も常に心配していました。

 

そんな時に救ってくれたのは実母です。

実母は出産予定日に合わせて私のアパートの近くのウィークリーマンションに寝泊まりしてくれていました。

実母と2人で近所のファミレスへ行って実母が妊娠出産した時の話しをしたり、普通に笑って楽しく食事をしました。実母は私のウォーキングに付き合ってもくれました。

それまで実母と2人きりでそのようなことをした経験がほとんどなかったので、純粋に嬉しかったです。

 

不安な時を過ごしつつ実母と夫(たぶん)に支えられ、予定日超過7日目の明朝、陣痛のようなものがきました。

でも、間隔が一定じゃないし痛みもそうでもなくてわからない・・・

とりあえず産婦人科に電話。

5分間隔になったら来てと。

 

後になってわかったことだけど、私の陣痛の測り方、間違ってました💦

(当時は痛みの始まりから終わりまでの時間だと思っていました。本当は、痛みが終わってから始まるまでの時間だったとはあせる

陣痛の正しい測り方がわかったのは第二子妊娠中の母親教室でした汗

 

午前中のうちに陣痛が5分間隔になった気がして産婦人科へ電話し、夫は仕事だったので実母に車で産婦人科に連れて行ってもらいました。

 

お昼頃、とりあえず入院させてもらえましたが、腹痛は一時なくなり病院の中を元気に歩き回ったりしました。

病院で出されたゴージャスな昼食を全部平らげた頃に再び断続的な腹痛がきました。ビックリマーク

これは陣痛か?

腹痛は回を増すごとにどんどん痛くなってきました。

これは、陣痛確定で!

ここで、もうすぐ産まれるかもと夫に連絡。(実際にはここから丸一日後でした)

陣痛がきているときは立っているのは勿論、普通に座っていることもできなくなりました。うずくまって耐えるしかないえーん

そんな時、付き添っていてくれた実母が背中をさすってくれていました。

背中をさすってくれると少し楽になる気がしました。

この時点ではまだ、陣痛がきていない時は嘘のようにケロッとして部屋の中を歩けました。このギャップに自分でもびっくりびっくり

 

そんな状態で数時間。やっと仕事を早めに切り上げて夫が来てくれました。

実母と交代。

実母「夫君来たから一旦帰るね。私がいたら邪魔でしょう。」

そこからは夫は背中をさすってくれました。

 

段々と陣痛は恐ろしいほど強くなり、 

私「ギギャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!ウガアーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!アガアアアアーーーーーーーーー!!!!」

叫ばずには生きていられない程に汗

 

助産師さん「らりらりらさーん、診察するので一階の内診室の前まで来てくださーい。」

私「え?・・分娩室じゃ・・・ないんですか・・・?・・ハ・・アハア・・」

助産師さん「そうです。診察室です!頑張ってー!」と去っていった。

私「も・・もう産まれそうな感じがしてきてるんだけど・・・ハアハア・・」

夫「とりあえず、行けって言われたから行くしかねーな。」

夫に支えられエレベーターを使いなんとか診察室の前の順番待ち用の椅子まで歩いていった。

 

この時、すでに強烈なイキミがあった。

もう出る!出したい!

私「キョアアアアーーーーーーーー!!!!!」

我慢できない程のイキミだあせる

診察室前の椅子には外来の妊婦検診の妊婦さん達もきていて、凄く恥ずかしかったけど抑えることができない!

 

やっと診察の順番が来て診察台へ。

診察代は分娩台みたいで、座ったら上に上がって足を広げられる姿勢になった。(普通の内診台)

そんな姿勢になってかなり産気づいているのに、なかなか先生が来ないムキーッ

下半身丸出しで何分も待った。

その間も、イキミを我慢できなくて凄い雄たけびをあげていた私。足はガックガックと痙攣していた。

陣痛が来るたびに

私「キャアアアアーーーーーーー!!!!!産まれるーーーーーーーーーー!!!!」

と叫ぶも、通り過ぎる助産師さんに「コラっ!まだ駄目だよ!力抜いて!!」

と怒られましたえーん

その時は本当に産まれると思いました。診察台で産んじゃうのは私くらいだろうなと思いながら。

 

 

やっと先生が来て内診。

先生「んー。(子宮口が)3センチ。まだまだだねー。」

うそでしょ????

死にそうだよ

もう無理そうだからお腹切って

そう思わずにはいられない。

 

陣痛が来るたびに廊下で叫んでうずくまり、陣痛が去った隙になんとか歩いて部屋へ戻った。

それは夕方のことだったと思う。

 

それからは部屋のベッドで横になって、なんとかイキミを逃さなくてはいけなかった。

実母が再び来てくれていた。

陣痛が来るたびに、夫はこぶしで私のお尻を押し、実母は背中をさすって手を握ってくれた。

正直、実母の手を握りつぶしちゃいそうだった。でも力加減は無理。

私「ごめんね、手。痛いよね。」

実母「大丈夫。陣痛の時は竹をも割るっていうでしょ。」(この言葉が妙に残っています)

   「私が出産した時は一晩中一人で頭の上のベッドの枠をつかんでた。」*実母は3人産んでます

私は途中から実母の手を払いベッドの柵をつかんでいました。

これが、夜通し続きました。

 

夜22時くらいだっったかな?私が陣痛で悶絶している時に、私の携帯に義母から着信が来ていたのを覚えています。

陣痛がきたと夫に連絡した時点で、夫から義母に連絡がいっていたと思います。

陣痛で苦しんでいる時に!

電話に出られるわけないでしょう!

義母も出産経験者でしょう!!

産まれたという連絡を待つことができないのか!!

そんな思いを抱きました。

 

 

 

 

 

続きます。