過去の話し

 

 

思い出しながら出産した経験を記していきます。

 

私はこれまで出産は三回経験しましたニコ

 

三回それぞれ、産んだ場所、環境、状況が違いました。

 

まず第一子から書きます。

 

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初めての妊娠・出産は妊娠5か月の時に切迫流産で休職。そのまま仕事復帰せず産休に入りました。

 

当時の職場は妊娠出産する人があまりいなくて、妊婦への理解が薄い人も少なくありませんでした。

まさか、同期の男性からマタハラを受けることになるとは。

 

同期の男性は、私が妊娠しているのを知っているのに、仕事内容では欠かせない重い物をもつ仕事を私にやれと言いました。その場にはクライアントや他職種の職員(妊娠を知らない)もいたので拒否できず、仕方なく重い物を持ち上げてしまいました。その後腹痛があり不安に襲われました。

(2人目3人目の妊娠中はこのくらいは大丈夫というのがわかっていたので上の子を抱っこしながら家事したりしてました。1人目の妊娠中はナーバスでした。)

 

実は、重い物って、「人」なんです。「要介護者」です。要介護者の中でも、重度の半身麻痺した初対面の大柄な男性でした。

でも意識はあって、持ち上げることを拒否なんかしたら信頼関係が築けず私や私の職場に不信感をもたれることも嫌でした。

 

 

課長(女性)からはパワハラともとれる発言を受け、育休を取得せずに退職することを決意しました。

私は、子供が産まれたら子育てに重点を置きたいから常勤から非常勤になりたいと課長に進言しました。

しかし、課長は「非常勤だからって、子供が熱出して急に休まれたら迷惑。非常勤には育児休暇はないよ。」

この言葉には驚きました。だって、課長自身が、子供が熱出したからって急に休むことがしょっちゅうだったから

でも迷惑とか思わないで、いつか自分もそんなふうになるかもしれないし、みんなでカバーしようって頑張ってた。なのに、課長がそんなこと言うんかい!!

それで私は退職を決めました。 

 

実は、この課長と同期の男性は、夫婦なんです。

職場のツートップが夫婦・・・・汗

私が入職4年目のときにこの夫婦は結婚しましたけど、結婚を機に同期の男性は私に冷たくなりました汗

私とこの同期の男性はもともと仲が良くて、課長はそれが気に入らなかったのだと思いますチーン

 

その後この課長のパワハラは私だけでなく気に入らない職員へどんどんエスカレートしていき、パワハラを受けた職員がどんどん退職していくのでした。

※このパワハラ課長の話しはいつか書きたいと思います。

 

職場での肉体労働が過負荷だったのか、ストレスだったのか、気にしすぎだったのかわかりませんが、

切迫流産という医者の診断書のおかげで休職し、あまり外出は出来ないけどまったりとした妊婦生活が送れたと思います。

そのせいで初産なのに体重増加は凄いことになりましたけどあせる

 

第一子の妊娠中にしておけば良かったと後悔していることがあります。

それは、もっと旅行や実家への帰省をしておけば良かったなと今でも思います。

(私はなかなか出産が進まない体質だったので。当時は不安になり過ぎてたー。)

 

 

そろそろ出産について書きます。

 

第一子は予定日超過していました。

 

予定日には義母から電話がありました。

義母「あかちゃんまだー?」

私「まだ産まれる気配ないんですよー。あははは。ははは。」

気遣ってくれているのだろうけど、孫を催促されているような気がして嫌だった。

何かあったら連絡するんだから、連絡がくるのを待っていてくれれば十分なんだけどなー。

 

予定日当日は、産まれそうな気配がなくて夫とショッピングモールへ行っていました。

ショッピングモール内のしゃぶしゃぶ屋さんで食べ放題して大きいお腹が更にはち切れそうに大きくなっていました。

子どもが産まれてからじゃ外食ましてや食べ放題なんてできやしないだろうから、思い切って食べました。

 

予定日超過3日目に受診しましたが、子宮口は固く前駆陣痛もなくおしるしもなく、まだまだ産まれる気配なし。

体重だけが増えていく。

 

私は焦ってたくさんウォーキングしました。

 

 

 

続きます。