私自身が「分かりにくい文章」を趣味としているゆえ、たいへん耳の痛い本であります。
(こういう場合は、読むのだから、目の痛い本というべきか)
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上の文章は、この本を読んだので、これでも気をつけて書いたつもり。
通常の私の文章だとこうなる。
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あいたたたた!
目の痛い本だよ、まったく。
とんでもない文章をかくもんだ(冷汗)
「分かりやすさ」とは、簡単・簡素ならいいというものでもないが、分かりやすさを強調すると、どうしても説明が必要になり、まわりくどくなったり、文章が長引いたりして、文章自体のリズム感がなくなる。
しかし、文章や言葉という伝達方法は相手に「伝わってなんぼ」の世界。
いくら内容が素晴らしくても、読み手に理解、いや理解以前に読んで貰わないことには話しにならない。
「分かりやすい文章」の技術とあるように、この本にあるのはあくまでも技術(ヒント)である。
この本は、「分かりやすい文章」かもしれないが、「読みやすい文章」ではないと思う。
繰り返すが、私が考える、分かりやすい、読みやすい、理解しやすい文章とは、簡単・簡素という意味ではない。
「分かりやすい文章」とは、内容がどのようなものであれ、難易に拘わらず、すっと頭の中に入ってくる文章。つまり読みやすい文章である。
最近こういう「国語に関する」本がばかすか売れるのは、やはりネット社会の定着と共に、人類史上初の文字文化到来が原因ではないかと。
「最近の子供は本を読まない」と嘆く大人たち。
でも、最近の大人も子供も、ネットの中で自然に読み書きの訓練をしていますよ。それが、正しい日本語ではないかもしれないけれど。。。
昔は、文章を書くことは一大事だった。
紙とペン(筆)を用意して、頭の中である程度の文章をまとめて、推敲しながら書く。間違えたりすれば、すべて書き直しとなり、後からの訂正も面倒なことになるので、充分考え抜いた文章となる。したがって、文筆業というのは、誰でも気軽にできる商売ではなかった。才能と気力と体力は必要不可欠。
こうやって、洗練された文章を書く訓練が出来たのだと思う。
今はどうか。
人にもよるだろうけれど、私などは打ちながら気ままに書いてゆく。
頭の中が空っぽなのに、キーボードに向かっていると自然に文章がころがりでてくるのだ。これって自動手記!?((((;゚Д゚)))ガクガクガクブルブルブル
まさか、紙とペンで下書きをしてから、キーボードに向かい清書する人は滅多にいないだろう。
しかし、この方法も逆の意味で文章の訓練になる。
書いたり消したり訂正したり挿入したり、なんでもありの自由自在。
こうなると、一文字を入れる入れないことまで含め、可能性が天文学的な数字にまで拡がる。まあ、文章の訓練というよりは、編集の訓練ともいうのかな。
また、本書からズレまくってしまったけれど、どんな文章にでも個性があり、それはそれでよしとしよう^^;。うんうん。(自己弁護)
はい、今回は穴があったら入りたくなる本の紹介でした。
私も「分かりにくい文章の技術」を書こうかなぁ。
☆☆☆☆
- 著者: 藤沢 晃治
- タイトル: 「分かりやすい文章」の技術















