ip6 永六輔は嫌いです。
なので、どういう人なのかあまりよく知らないのだが、第一には、あのネチャネチャした喋り方が生理的に受け付けない。


第二には、文化人とはいえ、作家なのか作詞家なのかDJなのかあさだーめなのか(古っ)、多芸多才なのがなんともいえず落ち着きが悪い。

イガグリ頭の作務衣が似合いそうなところも寒い。(いや、まじで)

かといって、ろくろく知りもしないのに悪口をいうのは憚られるので、本を読んでみた。

内容を、まず反発しながら読んだ。
「老」「病」「死」に対して、いささか上っ調子でおちゃらけすぎる気がした。
この変な軽さとユーモアが、永六輔の売りらしいのだが、自分は有名人で何をいっても許されるみたいな甘えが鼻につく。
これは、永六輔を知っている人のための本であり、万人向けではない。


とはいうものの、内容は面白かった。(なんだよぉ)


この作品は永六輔が書いたというよりも、色々な人々の「老・病・死」についての心情を羅列してある。

いうなれば、街頭インタビューを聞いているような感じで、無名の人々の言葉に、噴出してしまったり、ホロリとしたり、胸にずんときたりする。

これだから、人間おもしろくてやめられない^^;。


「何か言い残すことはありませんか?」と聞かれて、自分で「ご臨終です」と言って死んだ人もいた。


「俺が死んでたら教えてくれよ」


「元気な老人は疲れた若者に優しくして下さい」


「ハゲになったり、白髪になったりして嘆くことはありません。ハゲたり、白くなったりするまで生きられたと思えばいいんです。」


もう一度いうが、どうも永六輔は好きになれない。

嫌いだ。から、好きになれない。に格上げしたの理由は、巻末のあとがきに寄せて、永六輔が自分自身への弔辞を書いているのを読んだからだ。


<弔辞ー私自身のために

永六輔さん。

あなたはいつも無駄のない人でした。

(略)そして、読みかじり、聞きかじりの話をまるで自分が考えたように脚色する名人でもありました。

そんな時に相手役を選ぶ才能も見事で、あなたの仕事で一人でやったものは何もないという見事さです。

(略)皆さん、あなたに利用された善人ばかりです。>


ほほう、私が彼に対して感じていた嫌らしさをすべて自覚しているじゃないか。(爆)

私は奥床しい謙虚な人間が好きだ。

人間誰でも自分にないものに惹かれるんだから。(笑)


著者: 永 六輔
タイトル: 大往生

kouji 大好評だった★どうでもええ語教室 たぶんパート1  にひき続き、私のストーカーぐた友との共作 『グタダス』が出来ました。


もしこれがベストセラーになった場合、印税はどうやって分けるのか。。。

いっときますけど、著作権はわたくし!ぐた友はコソッとメモしただけでございますからねっ!


先月ハワイに行って、すっかり腹黒かったぐた友も、必死のエステ通いの甲斐あって、日焼けも醒めて参りましたが、おなかの黒さはやっぱりそのまま。(見たのかよっ)


グタダス

激変の時代に対応する役立つ情報が満載された知識の宝庫。最新用語を一挙公開!
姉妹品イミダスもよろしく!


保存して後悔

アメブロガーたちの合言葉。

保存して公開したつもりが、保存されずに後悔したのは数知れず。

ctl+A、ctl+Cを忘れないでね。(ビタミン剤じゃないってば)


値上がり反対!

今年もついにやってまいります。歳が値上がりの季節到来。

今年もスト決行予定です。

え、いくつになるのって? えっと25までは数えられるんだけど、私って算数が苦手だから。。。


ど真面目

生真面目なのも困るけど、ど真面目なのも困るんです。
どこがどう違うのかって?自分で考えなさい。


国際派

大阪弁、江戸っ子弁を自由自在にあやつるバイキンギャル。じゃなかったバイリンガル。

家庭においても、焼肉(韓国)とペリエ(仏)とマクドナルド(米)と餃子(中国)が大好物の国際派。


胃文化交流

ぐったりやせてる割りには、人二倍食べるので、いつもぐた夫に「よ~う食べるやっちゃな」と感心されますが、98kgのあんたに言われとうないっ!

「だって、お腹の子の為に食べなくちゃ♪」

(あの~、とっくに出産済みですが、なにか)


寝ぼけ天然・寝豚祭り・寝る子は粗雑

「なに寝ぼけ天然」とおっしゃいますけど、よく食べ、よく寝るのが私のモットーなんですっ!

寝ることに関しての名言なら、まかせなさい。


みごとな5頭身

大阪のおしうとさんは、みごとな5頭身なんですけど、小顔なんてのが流行りだしたのは、つい最近(戦後)のことだとか。どうも大きな頭がご自慢のようで「わしの頭は脳味噌がいっぱいつまってるさかい、でかいんや」そうでございますわ^^;。


色白は七難癖つける

色白は七難隠すなんて嘘でっせ、奥さん。


どういためものして

「あらぁ、おいしそうなお野菜ありがとう!」

「どういためものして。」

以上、使用例でした。


三度のメシより読書が好き

。。。でもない。メシの方が好き(笑)。


卑し系

ううう。どうしても癒し系にはなれないワタクシ。



読書感情文専属毒者の皆様へお知らせ。

2004年12月14日にブログを開始して、はやくも丸5ヶ月が経過。

毎日これが最後の更新になるかなと思いつつやってまいりましたが、今月末をメドにあまり頻繁に更新できなくなるかもしれません。


何故更新できないかと申しますと、今まで延ばし延ばしにしていた事情により、今後は読書の時間があまり取れなくなるからです。


出来る限り更新はしたいのですが、もし更新できなくても、このまま彷徨は続けていく所存ですので、今後ともよろしくお願い致します。

尚、過去記事へのコメントも大歓迎ですし、更新していなくても、ここにコメントを残してくだされば、大変嬉しく思います。勿論今まで通りに24時間オープンです。

しばらく掲示板状態になるかもしれませんが、どうぞごゆっくり遊んでいってくださいまし。

当ブログは、読書の話題に関係なく、嵐以外は、Every one is welcome!でございます。

イミダスよりグタダス♪→


著者: イミダス編集部
タイトル: imidas イミダス 2005


ロートレック 印象派の代表として名高いアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックは、キャバレー・ムーラン・ルージュのポスターで一躍有名になった。


彼は退廃の画家として有名である。

美しく艶やかな娼婦の陰に隠れた欲望や退廃、疲労、貧困などをえぐり出すように描くと云われた。


1864年、フランスの名門貴族の家柄に生まれたロートレックは、子どもの頃に「ちいさな宝石」と呼ばれるほど、愛くるしい顔の男の子だった。

しかし、中学生の頃の落馬事故により、下半身の成長が止まり、上半身だけは成人の体という不幸に見舞われた。

恵まれた美貌の持ち主だけに、その姿は哀れであった。


しかし、身体の障害にもめげず、育ちの良さからくる人懐こさと明るさは周りの誰をも魅了したように見える。

その交遊は場末の歌手から娼婦、女優、詩人、若き画家たち、そして貴族と多岐にわたった。


ゴッホ、ゴーギャン、ドガを初めとする若き印象派の旗手たち。

ゾラ、ジッド、メーテルリンク、マラルメ、サラ・ベルナール...

神のいたずらなのか、時代の奇跡ともいえる史上の若き天才たちが、ロートレックと共に19世紀末のパリに集った。


その絢爛たる貧しさ。希望と失望。

この時代の芸術家たちの生き様は、印象派の名が示すとおり、光と影のコントラストが強烈である。


ロートレックには、他の画家に比べて数多くの写真が残されている。

大きな瞳に濃い髭、子どものような小さな身体は幾分ユーモラスに見えるが、実に品があり、活気に満ちて堂々としている。


肉体の不幸がロートレックを放蕩に導き、酒による中毒で精神にも異常をきたして命を縮めたといわれるが、その作品は生命力に溢れ、奇妙な明るさがある。

36歳の短い生涯を駆け抜けたロートレックの生は、きらびやかで活気に満ちていた。

☆☆☆☆

著者: マティアス アルノルト, Matthias Arnold, 真野 宏子
タイトル: アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック

*残念ながら、私の所蔵している「EXPOSITION TOULOUSE-LAUTREC」

は非売品です。

 伝記はユイスマン編 発行は1968年 読売新聞社b-green

桜

『心に残るとっておきの話(第三集)』は、

太平洋戦争秘話のような話が多く載っている。

以前の私なら、戦争の話の部分は読み飛ばしていただろう。

投稿者は大正後期~昭和初期の人が多く、年代的には私の両親の世代である。

私が生まれたのは昭和30年代。高度成長と共に我が身も成長したのだけれど、幼い頃の記憶を辿れば、街中で軍歌が聞こえてきたり、傷痍軍人が佇んでいたりして、社会的にもまだまだ戦争の後遺症があったのかもしれない。


したがって、私は「戦争を知らない子どもたち」でありながらも、戦争の残り香を割と身近に感じていた。そのせいか、戦争秘話についてはひと括りにして、歴史上の知識以外の太平洋戦争については割りと冷淡に過ごしてきた。中途半端な、時代の古さになんとなく嫌悪感があったのだ。


学生時代は歴史としての第二次世界大戦にはまり、「ポツダム宣言」「東京裁判」関連の書籍を読み漁り、児島襄の本は全部揃えたりもしたけれど、「ひめゆりの塔」とか「きけわだつみのこえ」とかは意識して避けていた。


そして、

そういう話への抵抗がいくらか薄れたのは最近になってからのこと。

それだけ、太平洋戦争の気配が近辺から消え去ったということだろうか。


戦後60年。

歴史の影でひっそりと埋もれたままの話はどれくらいに上るだろうか。


どうしてこの一節がこれほど胸を打つのだろう。


<「昭和十九年六月十七日、ニューギニア島サルミに於いて戦死」

博田今朝男・享年三十一歳。

遺品もなく、遺骨もなく、白木の箱に小さな白い小石が一つ入っていただけだった。>


妻子のある、三十一歳の男性である。


若いなあ。

と思ったら、わけもなく涙が止まらなくなった。

☆☆☆
著者: 潮文社編集部
タイトル: 心に残るとっておきの話〈第3集〉 b-blue

ぐるぐる画像4

こんな素敵な話しを私の文章で説明できる自信はないけれど、最初から最後まで涙が溢れて止まらなかったお話をひとつ。

(ネタバレです。青字部分は引用)



『母の真珠』 兼光恵二郎 大正12年生

「これ真珠というんだよ」

煙草の空き箱から大切そうに取り出したものを、恵二郎さんに見せながら、恥かし気に嬉しそうに言ったお母さん。


<組合の旅行先で買った安物の屑真珠のようだったが、無骨を絵に描いたような父が母に宝石らしきものを贈ったということは、今にして思えば一大事件なのであった。

貧乏世帯に愚痴一つ言わず、いつもにこにこと父に寄り添って一生懸命頑張っている母に対し、父がある日見せた、それは精いっぱいの感謝の印であったと考えられる。>


それから戦争になり、恵二郎さんは抑留、復員したものの、ぐれてしまい、父親に勘当されることになってしまいました。

その時、お母さんは、「困った時にこれを」と、あれほど後生大事にしまっておいた真珠を恵二郎さんに渡してくれたそうです。


<生涯に一度だけ父から贈られた命よりも大事な真珠だからこそ、母はあの時私にくれたのだという有難さが改めて実感となって胸を打ってせつなかった。>

二年後、恵二郎さんがお母さんに真珠を返したときに、お母さんはこぼれるような笑顔を見せ、その真珠をじーっと眺めて、やがてホロリと泣いたそうです。


その後、お父さんは亡くなりました。お母さんも雪の降る日に、「ようけの真珠が空から落ちてるよ。おとうさんが来い来いと呼んでるよ」とつぶやいて亡くなられたそうです。その手には真珠をにぎりしめたまま。。。


<母は父のもとへ、その真珠をしっかり持って行くつもりだった。

それを持ってさえいれば、必ず父の元へ行けると堅く信じていたのだろう。>


父の愛、母の愛、子供の愛。

それぞれの愛情がとても哀しく切なくて、涙が止まりませんでした。

こんな愛情深いご両親を持った恵二郎さんは幸せな方ですね。

いまもお元気でいらっしゃるでしょうか。

著者: 潮文社編集部
タイトル: 心に残るとっておきの話〈第3集〉 b-red


画像提供:撮りっぱなしの写真館