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いまや押しも押されもせぬ作家となってしまった久世光彦さん。

私にとっては、テレビドラマ「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」でのテレビマンのイメージが強い。

そのせいか、久世さんの小説は、テレビドラマを観ているように目の前に映像がぱーっと拡がっていく。

文字を映像に創り上げていく才能は、そのまま、映像を文字に変換していく才能でもあるらしい。


テレビ業界から、文学界に足を踏み入れた作家は多く、向田邦子、伊集院静、鎌田敏夫、なかにし礼(作詞家)、野沢尚などがいる。


そして、テレビマンは、人を笑わせながら泣かせるのが巧いのである。


小説を読んで泣いたのは久しぶりだ。

読み始めてすぐに気がついたが、内容は太宰治をモデルにした朽木という作家と、15歳の少女さくらとの交流を、少女の一人語りで綴られたものだ。

何の予備知識もなく、こういう本に出会えたことは悦びである。

15歳の少女に見事に化けられる久世さんには舌を巻いたが、これほど繊細な少女のような神経で、よくTV業界を生き抜いてこられたものだと感心した。


久世さんは、江戸川乱歩をモデルにした作品も書いていらっしゃるが、実在の人物をモデルにしたストーリーの意外性と想像力は、素晴らしいものである。

生意気を言わせてもらえば、「謎の母」という題名がどうも気にいらない。この作品の内容の素晴らしさが表しきれていない気がするから。


昭和の薫り高き作風と感性は、向田邦子に似ているからだ。

といったら、怒りますか?

それとも、苦笑いなさって下さいますか?

再び、向田さんの世界に出会えた。

そんな気がして嬉しいのです。。。

久世 光彦
謎の母
久世 光彦
一九三四年冬‐乱歩 b-blue

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え?なんだって!?

出がらしじゃなくて、「出だしで読む私の名作」かよ。(笑)


不思議な事に、初めの2、3行、そして一節で、その本の面白さは決まる事が多い。

つまらない本を我慢して期待しながら読んでも、ページを気にしながら読むような本は面白くないということだ。本を読むときは、初めの一節、そして、2,3ページ。それから一章、または100ページが目安の限度。100ページ以降から、面白くなる本などというものに出合ったことはない。(笑)

というわけで、何事にもこだわらないタイプなのに、本だけには口うるさくなってしまう、この私。(笑)

一つの作品だけじゃ、つまんないから、どどっといきますわよ!

とにかくこの本の出だしだけで、読みたくなること間違いなし。

取り出しましたるは、私の好きな作家でもある、

吉行淳之介の「恋愛論」


若い方はご存じない方も多いでしょうが、女優・吉行和子さんの兄であり、NHKの朝の連続ドラマ「あぐり」の主人公、吉行あぐりさんのご長男でした。


かくいう私も、実物像はほとんど記憶にはありませんが、昭和の高度成長期に一世を風靡した作家で 「いろごと」の御大家でもあったようです。


出だしは秀逸で、エッセイの冒頭自体が、アフォリズムになっている稀有な作品集です。

では、いろごとの達人、吉行淳之介流、昭和っぽい恋愛遊戯をお楽しみください♪


陶酔

恋愛をして分ることの一つは、時間というものは一定の速度で過ぎて行かぬということである。


誘惑

若い頃、ある女性を誘惑してやろうと試みた。すると、もっと手際よく、サーッと車でどこかへ連れて行ってしまわなくてはダメよ、その女が私に忠告してくれた。速力の中に女性を巻き込まなくてはいけない、という。


逢引

逢引、あいびき、当世流の言葉でいえばデートということになる。それなのに「あいびき」とは、古めかしい言葉を持ち出したものだ、と叱られそうだ。あいびき、あいびきと、二三度口の中で呟いて、この言葉のひびきをあじわってみると、どこかに暗い感じが漂っていることに気付くだろう。


舞台装置

「恋愛とは美しい誤解である」という言葉が在る。この言葉をそのまま受け取ってよいかどうかはともかくとして、恋愛中の男女はお互いに相手を美化して考える傾向があることは確かのようだ。従って、その二人を取り囲む風物や二人の間でとり交わされる事物が、その「誤解」や「錯覚」を一層そそるようなものであれば、二人の恋愛はより一層情熱的になる。


会話

会話のことばというものは、その人の個性のあらわれだから、自分の個性を十分にあらわすように話すより方法はない。必ずしもなめらかに話す必要もないし、無理に気の利いたことを言おうと努力するひつようもない。


こんな、何気ない会話のように始まる冒頭に騙されて?、あっという間に惹き込まれてしまうのは、さすが吉行淳之介大先生ならではです。(笑)


恋愛なんて、美しくもなんともない。

というような、ちょっと醒めてるオトナの男の独り言。

騙す男が悪いのか、騙される女が悪いのか、

永遠の課題であろ?

吉行 淳之介
恋愛論 b-blue

編集後記
ちなみに、出がらしじゃない「出だしで読む私の名作」 はこちら^^;。

http://blog.oricon.co.jp/guruguru/ いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。


この出だしで始まる有名な「源氏物語」は、光源氏の一生を中心に繰り広げられる54帖(巻)の長編恋愛小説です。


物語は、光源氏の母、桐壺の更衣が帝(源氏の父)の寵愛を一身に集めたために、他の愛人たちから酷い仕打ちを受けるシーンから始まります。


冒頭のたった数行のこの名文に、多くの作家たちは、自分の感性と個性と意気込みを籠めているのです。

似ているようでいて、同じ「源氏物語」はひとつもない、それぞれの作家たちの競演をお楽しみください。



どの天皇様の御代であったか、女御とか更衣とか言われる後宮がおおぜいいた中に、最上の貴族出身ではないが深いご寵愛を得ている人があった。

紫式部, 与謝野 晶子
全訳源氏物語 (上巻)



いつのことだったか、もう忘れてしまった。

帝の後宮に女御更衣数多犇めくその中に、そう上等という身分ではないが、抜きん出た寵を得て輝く女があった。


橋本 治
窯変 源氏物語〈1〉



いつの御代のことであったか、女御更衣たちが数多く御所にあがっていられる中に、さして高貴な身分というではなくて、帝の御寵愛を一身に鍾めているひとがあった。

紫式部, 円地 文子
源氏物語 巻1 (1)



何という帝の御代のことでしたか、女御や更衣が大勢伺候していました中に、たいして重い身分ではなくて、誰よりも時めいている方がありました。

紫式部, 谷崎 潤一郎
潤一郎訳源氏物語 (巻1)



いつの御代のことでしたか、女御や更衣が賑々しくお仕えしておりました帝の後宮に、それほど高貴な家柄のご出身ではないのに、帝に誰よりも愛されて、はなばなしく優遇されていらっしゃる更衣がありました。…
瀬戸内 寂聴
源氏物語〈巻1〉


恋しい主上さま、おいとしい主上さま、お別れしてまだ半日と過ぎておりませんのに、もう幾十日も、いえ幾月もお別れしてるような淋しい心細い気がしてなりません。
瀬戸内 寂聴
女人源氏物語〈第1巻〉



いつの御代のことであったか時の帝の寝る愛は桐壺の更衣と呼ばれる、一人の美女にあつまっていた。
田辺 聖子, 岡田 嘉夫
絵草紙 源氏物語


わたくしは母を知りません。

はかなげで

少女のようで・・・

すきとおるように美しいひとだったといいます。

大和 和紀
あさきゆめみし―源氏物語 (1)



この第一帖「桐壺」は、長い長い源氏物語の始まりにふさわしく、これから始まる物語への序章として、光源氏の父と母との悲恋を劇的に描いたものです。

源氏物語は長すぎて、最後まで読みとおすには、相当根気がいるのですが、この巻だけでも、立派に一つの物語として成立していますので、充分楽しめるかと思います。



*関連記事はテーマ「源氏物語」をご覧下さい。


紫式部, 阿部 秋生, 今井 源衛, 秋山 虔, 鈴木 日出男
新編日本古典文学全集 (20) 源氏物語 (1) b-red


画像提供:撮りっぱなしの写真館

stained2 スピリチュアル・ブック でも紹介した、
霊能者・江原啓之さん。

先日もテレビで見ましたけど、大活躍ですね。


人の死というものに向き合わざるを得なかった人々に届く、天国からの声。



霊的な作用によって悩み苦しんでいる人を、恫喝せずに癒しながら救ってあげる。という姿勢に感動しました。

江原氏自身の霊能力も凄いですが、これはもう、お人柄ですね。

人柄がオーラとなって、苦しむ人を助けて、というより救っていく。

お見事です。


たとえ、それが真実ではないとしても、


信じる者は救われる


それでいいんじゃないでしょうかね。


誰かの一言が、人生に光を与えてくれることがある。

そんな光をいっぱい胸に抱いて、生きていけたら幸せじゃん♪

この本は、そんな江原氏が書いた、日常生活の中で簡単に出来る癒しの方法。


寝ても寝てもなぜか疲れがとれないというときは、体ではなく、心が疲れているのかもしれないそうです。

香り、色、音、石などでの癒しの方法を具体的に教えてくれます。

それから、日常生活に即した、食事、入浴法、睡眠での癒し方法。

そして、大自然のなかでの癒しの方法。


イライラしたり、ネガティブな心を浄化してくれるのは海。

疲れて弱気になっているのを励まし癒してくれるのは山。


何気なく手にとって読んでいるだけで、充分に癒されてしまう♪

という、ズボラな私にぴったりの本でした。(笑)


でもね。やっぱり小手先の癒しじゃ意味はないそうです。

自分の魂を美しくしなければ、本物の安らぎはない。

その通りかもしれないですね。


生きるって大変だけど、素晴らしいなぁ♪

江原 啓之
幸運を呼ぶ「たましいのサプリメント」 スピリチュアル セルフ ヒーリング[夜眠る前に聴くスピリチュアルCD付き]


編集後記
「ぐた夫ちゃんが死んだら、絶対に私に合図を送ってね!
ねねね!どうやって合図する?どこに来てくれるの?」
(自分は夫より、したたかに生き延びってるつもりである^^;)


「あのなぁ、ぐたちゃん」

うんうん♪

「実はなぁ」

なになに♪

「死んでまで、ぐたちゃんと関わりたくないねん。。。」

((((;゚Д゚)))ガクガクブルブル

「死んだ時くらい、ゆっくり死なせてな、頼むでぇ。

ぐたちゃんなら、俺が死んだ時、馬乗りになって起こしそうやしなあ。(爆)」

((((;゚Д゚)))ガクガクガクブルブルブル(図星)

そういわれれば、きっとそうするような気もする。(泣)

ぐた夫ったら、予知能力あるじゃないの!?

((((;゚Д゚)))ガクガクガクガクブルブルブルブル


どひゃ!b-red

http://blog.oricon.co.jp/guruguru/ 「ほくろ」という言葉には、

なんとも色っぽいイメージがある。


つけぼくろ

泣きぼくろ

いれぼくろ


「入れぼくろ」とは、入れ墨の一種らしい。


<これは好きな男(情人)と握手の要領で手を握り合い、相手の親指の先が突いたところを針で刺して墨を入れるものだそうで、つまり女の心中立て>


いわば、色街の遊女たちの手練手管の方法だったわけだ。

辛い苦界(遊郭)に身を沈め、好きでもない旦那を取りながら、遊女たちは命を賭して恋をした。

他の男たちに身を任せながら、どうやって自分の恋の証しを立てようか。。。

そんな女たちの哀しい情熱は、入れぼくろや小指切り、果ては情夫との心中にまで発展した。

そして、小唄や浄瑠璃や歌舞伎芝居となって、今でも語り継がれている。

初めは、ほくろのごとく、ほんの小さな点に過ぎなかった入れぼくろも、時を経るごとに、「○○命」という形に変化したらしい。

こうなってくると、本末転倒。

哀しい恋の証しも、いつしか男を騙す手段ともなりかねない。


目がさめて今は仇なれ入れぼくろ

てなことになってくる。(笑)


入れぼくろしかり、結婚指輪しかり、

人間は、形で愛を縛るのではない。

自分の心を自分で縛っておくに過ぎないのだ。


ちなみに、入れぼくろの位置とは、どのようなものなのか。

ぐた夫を実験台に試してみた。


「ぐた夫ちゃん、握手握手!」

「え、なになに? (ノ´∀`*)アヘアヘ」


ありゃま@@;

ぐた夫の手がでかすぎて、あたくしの手首まできちゃいましたわ!(爆)

しゃあないなあ。。。

そだそだ、他の男で試してみよっと♪


日本エッセイスト・クラブ
思いがけない涙―ベスト・エッセイ集〈’88年版〉


編集後記

コメント・TBありがとうございます。(感)

レスが出来なくてごめんなさい!

のちほど、ゆっくりお礼参りさせて頂きますわ。

覚えて嫌がれ!

しばらく徘徊できませんが、ぼつぼつ、ボツネタをあげてますんで、

そこんとこヨロシク♪

ボツネタかよっ!(泣)b-red

画像提供:撮りっぱなしの写真館