あたくしが尊敬しているとらさん
ちで、「差別用語」に関しての記事が出ていた。
<差別語であると断定する行為こそが、差別的なのでは?>
という、とらさんの意見には、うんx10くらい賛同している。
差別用語という名の言葉狩りの元に、歴史ある住所や物の名前などが消えて行くのは、取り返しのつかない、日本語のみならず日本の文化の損失だと常々思っている。
実はつい先日、「悪魔が来りて笛を吹く」の本を読んだときに、とらさんと同じようなことを感じていた。
横溝正史の名作、「悪魔が来りて笛を吹く」は、初版が昭和47年。物語の舞台は昭和22年。
つまり昭和の時代背景が色濃く描かれ、そのレトロ感も、この小説の大きな魅力のひとつになっている。
昭和時代にしか起こりえなかった残酷で哀しい物語。。。
余韻を持って最後のページを読み終えたとき、角川文庫の最後の最後のページの、ど真ん中にこう書かれていた。
<本書中には今日の人権擁護の見地に照らして、不当・不適切と思われる語句や表現がありますが、作品発表時の時代的背景と文学性を考え合わせ、著作権継承者の了解を得た上で、一部を編集部の責任において改めるにとどめました。(平成八年九月)>
せっかくの読後の余韻が、なんとも後味の悪い結果になった。(泣)
こういう注意書きは、今日ではまったく珍しいことではない。
珍しいことではないけれど、
一部を編集部の責任において改めるにとどめました。
という、恩着せがましくも、もったいぶった文章は、どう考えても変だ。
一部を編集部の責任において改めました。で、充分でしょう?
XXXの伏字や削除されるよりはマシだろうってことなんだろうけど、これじゃまるで、戦時中の言語弾圧そのものじゃ。(恐)
もっとも普通は、
作品発表時の時代的背景と文学性を考え合わせ、
原文のまま表記いたしますので、ご了承ください。
なんじゃないの?(苦笑)
差別用語と言葉の文化については、どうしても相容れない点が多く、言論の自由と人権がじゃんけんをすれば、犯罪者だろうがなんだろうが、なんてったって、人権が勝ってしまう今日この頃の時代。
こうやって、貴重な「時代の言葉」が失われてしまうんだなあ。と寂しくもあり恐ろしくも感じた。
言葉にだって人権はあるに違いない^^;。
そもそも、差別用語と認定する意図は、「人の気持ちを傷つけない」という配慮から生まれたはず。
それが主客転倒して、差別用語がなければ、人は傷つかないだろうみたいな風潮は、想像力が無さ過ぎる。
そういうことが、「体裁が整ってさえいれば内容はどうでもいい」というような安易な風潮を生み出すんじゃないかしら。
人はどんな立場に居たって、傷つけられたら傷つくんです。
差別用語に当て嵌まる人がいるから、差別用語をなくすこともまた、差別です。
差別用語が消えたからって、差別が無くなるわけじゃない。
また新しい差別用語が生まれてくるだけなのに。
あたくしには、どうしても、
「巨乳」はいいけど、「ボイン」って言葉は差別だよ!
と言われているように思えてならないんざます。(苦笑)
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- 横溝 正史
- 悪魔が来りて笛を吹く
- 塩見 鮮一郎
- 作家と差別語―表現の自由と用語規制のジレンマ








