ネズのブログ

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下らないことをつらつら綴ったブログです。
怠惰を夢見る社会人女の妄想と日常をぽつぽつ。

いつだったかな

君と最後に歩いた遊歩道

覚えてるかな

十五夜の月の元で

二人で交わした約束


今はもう、思い出となった君の姿が

あの日の月と重なって

今も尚、薄れゆく記憶のなかで

道標のように一際輝くよ


きっと僕も行くから

もうすぐそっちへ行くから


深夜2時に月で会おう

歩き疲れるまで語り明かそう





どーっでもいいことですが

CM見てて、タレントの後ろで演技してたり踊ってたりする人の顔に文字被って見えなくなってるの悲しみ。

その人の演技が監督の意に沿わずにNG撮り直しとかされてたらとか、一生懸命踊り覚えたのにねとか考えちゃって勝手に胸が締め付けられる。

どうでも良いですね
はい。

あの日の出来事について、私は今でも頭を悩ませている。

冴えない頭をツンと刺激するような夏の日差しも、憂鬱を押し固めた満員電車での通勤も、何時もと同じ朝。

ホームに着き、人々が電車から一斉に吐き出される。その流れにのって、私も改札まで向かう。鬱屈とした気分とは裏腹に、駅舎から覗く空は晴れ渡り、かえって私に下を向かせる。

その時、ふと飛び込んできた些末な違和感。

ありふれた光景のはずなのに、何かが、何時もと違う。

進むにつれて徐々に鮮明になるその違和感に、私は一抹の胸騒ぎを覚えた。

私が得たいの知れぬ感覚に気を散らしていると、あわや緑の物体を踏みそうになった。

まさか芋虫かとおののいたが、それは枝豆の殻であった。

その殻を見た瞬間、閃くものがあった。

そして、来た道を振り返る。

―やはりそうだ。

改札からここまで、等間隔に枝豆の殻が落ちていた。

それが、今までの違和感の正体だったのだ。

そして、先を見ると、やはり同じように等間隔に枝豆の殻が続いている。

まるで、何かの道を示しているようだった。

―一体、誰が何のために?

奇しくも、殻は私の通勤ルートと重なっている。

私は殻のあとを追って歩き始めた。

殻は面白いほど一定の間隔で落ちている。

そして、最後に見つけたのは、ある居酒屋の前だった。


枝豆の殻を見たのは、後にも先にもその日だけである。

あの殻の意味するものは何だったのか。

どんな人物が落としていったのか。

私は今でも、考えてしまうのだ。