処分見送りを匂わせたのは検察の高等戦術の一つだろうが、処分見送りには拘束力がない | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

検察も人事の季節を迎えているから、河井裁判も適当なところで手仕舞いをして捜査態勢を縮小したいんだろうな、とは思うが、そのために人心を惑わすようなことはほどほどにしておくことだ。

今朝の新聞はどこも処分見送りを検察の既定方針のように報じていたが、検察の人事が一段落するとどうなるかは分からない。

世論の批判が検察に向かうようになると、多分、検察は方針の再検討を迫られることになる。
少なくとも、検察の威信を損ねるようなことは出来ないはずだ。

検察当局は、昨日起訴した河井夫妻を万が一にも取り逃がすようなことにはならないよう万全の態勢を構築しているはずだが、あまりにも見え見えのことをやってしまうと起訴自体の適法性等が疑われる結果になってしまうかも知れない。

検察の主張に沿うような証言を得たいからといって、処分見送りを示唆して供述を引き出した、ということになると、供述の信用性や任意性を疑われることにもなってしまう。

姑息なことは絶対にすべきではない。
勿論、普通は考えられないような異例な処分も特段の理由がない限りすべきではない。

検察の動きに若干の危うさが垣間見られるので、あえて一言申し上げておく。

処分見送りの報道は、検察のリークに基づくものだろう。

しかし、この処分見送り報道には、何の拘束力もない。