色々なまとめサイトに「早川氏に反論:日本国憲法は『みっともない憲法』である」旨の文章が掲載されている。
ここで言う「早川氏」とは、紛れもなく私のことである。
お蔭で、ちょっとだけ私の名前がネットの世界で拡がったかも知れない。
別に晴耕雨読の隠遁生活を続けていたわけではないので、私の議論に関心を持ってくださる方が一人でも増えることは、私にとってもありがたいことである。
元気ですよー、ここにいますよー、とそれなりにアピール出来る。
もっとも、様々なまとめサイトに掲載されているのはもっぱらこの投稿者の方の「反論」だけで、肝腎の私の文章を読んでくださっている方は少ないだろうから、私が、日本の憲法について一部の方が言われるほどにはみっともない憲法ではない、と考える理由を何回かに分けてご説明することにしたい。
私の議論は、いわゆる憲法学者の方々の正統派的憲法論ではなく、あくまで私が肌で感じている体験的憲法論で、その意味では私の独自の憲法論だということをご承知おき願いたい。
まずは、象徴天皇制について述べておく。
私は、天皇主権から国民主権に転換するときに、よくぞ、天皇を日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴と定義づけたものだと感心している。
現在の憲法の策定に参画された方々の最高の知恵が、憲法第1条のこの文言に結実している。
大日本帝国憲法(明治憲法)第1条に「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」、第3条に「天皇は神聖にして侵すべからず」、第4条に「天皇は国の元首にして統治権を総攬しこの憲法の条規により之を行う」とあったのを、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」(日本国憲法第1条)と改めたのだから、凡百の知恵ではとてもここまでの発想は出て来ない。
まさに革命的な発想の転換がそこにある。
象徴天皇制を採用することで、日本は天皇の存在そのものを否定したり、天皇に退位を求める必要もなくなった。
当時連合国の間では天皇の戦争責任を問う声もあったのだが、象徴天皇制を採用することで徐々にその声が小さくなり、いつしか天皇戦争責任論が事実上消失するに至ったのだから、大日本帝国から新しい日本国への転換を成し遂げる上で日本国憲法、特にその第1条の果たした役割は実に大きい。
仮に私が新しい憲法起草の掌に当たっていたとしても、とてもこういう発想は出て来ない。
多分、当時の日本の最高の憲法学者であっても、自分の頭の中からこういう知恵が生まれるとは考えられない。
結構イケてるんじゃない?というのが、率直な感想である。
フセインを死刑に処したアメリカの失敗を見るにつけ、日本は辛うじて助かったんだな、と思わざるを得ない。