「生きる」という詩を聞いて、私はすっかり固まってしまった | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

昨日の沖縄の慰霊の日の式典(平成30年沖縄全戦没者追悼式)で朗読された「生きる」という詩の全文を東京新聞で読んだ。

長文の詩である。

自分なりに詠んでみた。
心を籠めて詠んでみた。

いい詩である。

心に染みとおるような、いい詩である。
そして、実に重い。

詩は、読み手の心の籠め方次第で印象がずいぶん異なることを知っていたので、どうしてもあの長い詩が式典ではどのようにして朗読されたのか知りたくなった。

スマートフォンで昨日の式典の映像を確認することが出来た。

前をしっかり見つめ、口を大きく開き、手元の原稿に目を向けることもなく、一言一言をはっきり紡ぎだしている。

圧倒されてしまった。
詩の朗読を聞いて、私はしばし固まってしまった。

沖縄の戦いで亡くなられた方々に対する鎮魂と慰霊の詩というよりも、沖縄を二度と戦争の惨禍に見舞われることがないようにするための平和への戦いへの出陣の詩のように聞いた。

この詩の朗読を聞けただけで、私は満足である。
沖縄の存在が、私の中で益々大きくなってきた。

さて、安倍総理は、この詩をどのように聞かれただろうか。

少なくとも私の心には、突き刺さっている。

人の心に突き刺さるようないい詩を聞くことが出来た。