法の具体的な当て嵌めについては、法律家によって色々違いがあり得ることは大方の人は既に承知されているだろうが、今回の大阪地検の不起訴処分の当否については、OBの検察官の間でも現役の検察官の間でも意見が分かれるだろうと思っている。
法律実務家が出す意見については、結論先行みたいなところがあり、如何にも精緻に理論づけているように見えても、実際には後付けの理屈だということもある。
部外者の方々には如何にも論理的に導き出した結論のように見えるだろうが、実は、結論の妥当性や社会的、政治的な影響の大きさなどを総合勘案して、ほどほどの結論を出すのが、いわゆる有能と言われる法律実務家である。
こういう有能な法律実務家が出す結論には一見隙が無いように見えて、実はある。
結論の妥当性を詳細に検討して行くと、どこかで、これは納得できないな、私ならこういう判断はしないな、と思うような箇所に遭遇することがある。
何かおかしいぞ、どこか変だぞ、という思いをトコトン突き詰めていくと、やはりこの結論は変えておいた方がいい、別の理屈を立てた方がいい、ということになることもある。
法律専門家の間で丁々発止の議論、争闘を繰り返して、さて最後にどういう結果が残るか。
とにかくトコトンやってみないと、本当の結論には達しない。
私は、今回の大阪地検の不起訴処分は不承知である。
何とかこの不起訴処分を呑んでください、などとお願いされても、私は、不承知としか言いようがない。
まあ、背任の件については不起訴処分が適当だろうな、と思っているが、有印公文書偽造や公文書破棄の件についてまで関係者全員を不問にしてしまうことの妥当性については大いなる疑問を有している。
あれ、決済済みの公文書を改竄しても誰も罪に問われないの、へー、そんなことやってもいいんだ、などと役所の方々に誤ったメッセージを与えてしまうことを危惧している。
国民は、自分たちを馬鹿にするな、と怒っていい。
国会議員は、国会や国会議員を馬鹿にするな、と怒っていい。
悪質な改竄行為ではないなどと、なんと寝惚けたことを言っているのか、と怒った方がいい。
秋霜烈日と言われたかつての検察の威信がこれで地に墜ちてしまうのではないか、と心配している。