法律の文章を作る訓練を受けた役人の方々の目から見ると、国会議員が作る議員立法の文章など穴だらけで、中身が大してない精神論ばかりだ、こんな条文は実務上大して役に立たないからなくした方がいい、それこそ付帯決議や議案についての国会審議の中で中身を確定し、政府当局にしっかりその旨を答弁させて議事録に残しておけばいい、という考えになられるのだろう。
私も衆議院議員になって初めて議連の皆さんが議員立法として取りまとめた法律案の原案を目にしたときは、そういう印象を持ったものだ。
なんだか甘いな、情緒的で中身が薄いな、もっと精緻な仕組みを用意しなければならないはずなんだがな、などと、結構批判的な目で法律案を読んだものである。
しかし、だからと言って議員立法が閣法に劣るなどと思ったことはない。
閣法は内閣法制局が審査するから、法律実務家の目から見て法律案としての完成度が一般的に高いことは間違いないが、しかし大体は分かりにくい。
正確を期するために、何重も括弧書きが用いられ、条文のあちこちを読まなければ本当には何を言っているのかよく分からないような文章になってしまいがちである。
税法関係の条文などはその典型だろう。
そういう法律の文章に日常的に接している方々の目から見ると、議員立法の法律案の文章は正確性に欠けているのではないか、他の条文との整合性がどこまで取れているのだろうか、などとあれこれ疑問を持たれるようなこともあるのだろう。
しかし、議員立法に係る法律案の条文の作成には、衆議院の場合は衆議院の法制局、参議院の場合は参議院の法制局が深く関わっており、国会議員が作成した文章そのものが議員立法に係る法律案として国会に提出されることはない。
内閣法制局が関わっているのか、それとも両院の法制局が関わっているのかの違いはあるが、国会で審議される法律案はすべて法制局の審査を通っているのだから、すべて一応の水準は超えていると言っていいだろう、と私は思っている。
いや、やっぱり、あれはダメですね、と仰る方も中にはおられるだろうが、これは見解の相違ですね、と言わざるを得ない。
政府原案の委員会での修正案は、典型的な議員立法である。
11年前に共謀罪法案について衆議院法務委員会で2度にわたって提出した自公修正案も通常国会閉会時の法務委員会の議事録に添付してもらった自公修正試案もいずれも衆議院の法制局と協議しながら策定し法務委員会に提出した修正案だから、法案としての完成度は決して低くはない。
私のブログの読者の方からのご意見は参考にさせていただくが、しかし、配慮規定や留意事項等の記載は不要ではないか、というご主張には賛同できない。
国会の審議内容や世論の受け止め方を真摯に受け止めると、国民の代表者たるべき国会議員としてはこの程度の配慮は必要だろう、というのが当時の私たちの考え方であった。
行政府である内閣や各省庁の職員の立場では不要だろうと思えるような実に情緒的な規定であっても、立法府である国会の国会議員としては配慮規定や留意事項として法案の中に明記しておいた方がいい、という判断である。
センスの問題である。
国民の声に真摯に耳を傾けようとすれば、せめてこういう規定を明記して出来る限り国民の不安を取り除こうと努力する。
配慮規定や留意事項は一切書かないでもいいのではないか、というのは、一つの考え方ではあるが、私はそういう考え方は取らない。