へー、豊洲市場の魚を早く食べたいと言う人が現れたぞ | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

私は数値で基準を示されても何が何だかよく分からないので、「危険」とか髑髏マークが書いてあって初めて、ああ、ここは危険なんだな、クワバラ、クワバラ、と思う方である。

豊洲の地下水の環境基準の数値を見せられても、その数値自体からはその数値がいいのか悪いのか判定することは出来ない。
私の毎月の血液検査の数値も似たようなものである。
一応標準値が記載されているので、標準値と比較して自分の血液の検査値がどのあたりに位置するか一応の見当が付けられるが、その数値がいいのか悪いのか、まではなかなか分からない。

その数値には何の問題もありません、その検査した地下水は地下を流れているだけで別に飲むわけではありませんから、地下水の検査数値に異常があっても問題ないんですよ、などといくら丁寧に説明されても、検査して数値が出ているのだったら、なんでそんな検査をしたのか、なんで異常な数値が出たのか、等について素人でも納得出来るような説明がされなければとても承服は出来ない。
別に長たらしい説明、懇切丁寧な説明は要らない。
要するに素人でも納得出来るような分かりやすい説明である。

私よりは遥かにこの種の数値の読み方に熟達されていると思われる方々が、あれは環境基準を安全基準と取り違えたための間違いですよ、豊洲の安全性には何の問題もないんですよ、小池さんが安全性に疑問がある、などと煽ったから一気に世間に不安が拡がっただけで、環境基準と安全基準を間違えた小池さんはその間違いを早く謝っておいた方がいいですよ、などとあれこれ親切なアドバイスを頂戴しても、そう簡単には不安は払拭できないものである。

まあ、それほど言われるのならそうかも知れないな、などという気持ちもなくはないのだが、それでも目下は、もう一度検査してもらって、異常な数値が検出された原因や理由が明白になってから改めて考えましょう、と言うところである。

そんな風に、判断先送り、結論先送りの中途半端な状態でいたのだが、アゴラに「豊洲市場の魚を食べたい」という記事が出ており、それを読んだら、ああ、そういうことなの、と半分だけ得心が行ったような気がしている。

宮寺達也という方の「私は豊洲市場の魚を食べたい」という記事である。
いくつもの特許申請をされている技術者のようで、この種の数値の読み方が出来る方のようである。

ああ、こういう技術者の方がそこまで仰るなら、そういうことなんでしょうね、と言ったところだ。

文系人間には、こういうところがある。
自分では数値が読めないから、読める人の判断に頼ってしまう。
理系脳の人は、数値は十分読めるからとかく数値のみ並べてそれで満足してしまうようなところがあるが、宮寺さんの優れているところは、その数値の意味合いを私たち素人にも分かるように噛んで含めるように優しく教えてくれるところだ。

「私は豊洲市場の魚を食べたい --- 宮寺 達也」などと言われれば、ああ、食べても何の問題もないんだ、ということになる。
環境基準だとか安全基準などという難しい話を持ち出さなくても、要するに食べてもいいのか悪いのか、ということだけ分かれば、私には十分である。

ウニを最初に食べた人は偉かった。
キノコも食べていいキノコかどうか、どなたかが食べてもらわなければ、私は手を出さない。

都議会議員選挙が終わるまでに決着を付けるのは難しいだろうが、秋口にはそれなりの結論が出せそうである。
皆さんが食べられて何の問題もなければ、私も食べる。
魚の骨は苦手だが、刺身は私の好物の一つである。