まあ、これじゃあ組織選挙に頼らざるを得ないわな。
民意の移ろい易さ、儚さに溜息を吐いておられる方があちこちにおられそうだ。
民意を得た、と思った瞬間にするりと掌から滑り落ちてしまうのが民意だから、いわゆる民意に頼る、民意を恃むことの儚さ、心細さにゾッとした方が相当おられるのではないだろうか。
かつて民主党は、民意を得た政党であった。
民意を得た当時の民主党は何もしないでも選挙には勝ちそうで、民主党に追いまくられていた当時の自民党はどんなに一生懸命仕事をしても、自分たちの評判を上げることは出来なかった。
仕事人間の私などは、簡単に放り出されてしまった。
自民党の中ではよく仕事をする人間だと見做されていたが、選挙区では大して人気を上げることは出来なかった。
そこそこの得票はするのだが、どうしても民主党の候補を上回ることが出来ない。
小選挙区制選挙でなければ何とか滑り込みで勝ち残れるかも知れないが、一人しか当選しない小選挙区選挙では2番ではどうしようもなかった。
蓮舫さんは、2番はダメなんですか、1番じゃなければいけないんですか、という名セリフを吐いたが、小選挙区制選挙では1番でなければ何の意味もない。
次点を何回取っても入賞扱いはしてもらえない。
私は、8年間もそういう辛い日々を過ごした。
平成21年の衆議院選挙で落選した時は、落選することは予め分かってはいたが、それでも懸命に戦った。
自分なりに全力を尽くしたつもりである。
戦う気力も体力もそれなりの能力も十分残っていたが、しかし、自民党で戦ったのでは道が開ける展望はまったくなかった。
10年戦いを続けるだけの力は私にはなかったので、結局、再挑戦の機会がないままに今日を迎えている。
だから、今の自民党一強政治が、信じられない。
だから、あれだけ強大な力を発揮した民主党の今日の凋落ぶりが、信じられない。
民意が、如何に移ろい易いものか。
民意が、如何に儚いものであるか。
そのことを痛感している。
7月の東京都知事選挙で示されたあの熱い民意が、あっという間に裏手に引っ込んでしまったようである。
若狭選挙にのめり込んできた者として、どうしてもガックリ感が残る。
小池さんに対する国民(ただし、この場合は、都民)の支持は圧倒的だが、しかし小池さんの周りにいる人をグイッと引き上げるほどの力はまだない、という厳然たる事実を踏まえて、私たちは道を選んだ方がよさそうである。
小池新党は、口で言うほど簡単ではない。
小池さんご本人は大丈夫だが、小池さんの周りに集まる若い方々が同じように大丈夫かと言えば、何とも言えない、というのが本当のところだろう。