日本の憲法はアメリカが書いた、というのは俗説の類 | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

アメリカの政治家は、つい勢いで、アメリカが日本の憲法を書いたと言いたくなるようだが、決して正しくはない。

物事の一部だけを切り取るとこんな物言いも出来る、というだけのことで、全体を丁寧に見ていくと日本の憲法はアメリカが書いた、などとは言えなくなる。
バイデン副大統領は、日本の核武装を声高に主張するトランプ氏を牽制するために、日本に戦争放棄の憲法を作らせたのはアメリカで、日本の核武装を禁止しているのはそれがアメリカの国益に適うからだということを強調するために、日本の憲法を書いたのはアメリカだ、と言っているだけで、日本側から本当にアメリカが日本の憲法を書いたと思っているのか、と問い詰められたら、多分言葉を濁すだろうと思っている。

GHQ民政局が作成して昭和21年2月13日日本側に交付した英文の憲法草案(マッカーサー草案)を同月22日の閣議決定により政府として受け容れ、これを日本風に脚色・表現した「憲法改正草案要綱」を同年3月6日発表し、その後数次にわたるGHQとの交渉を経て、同年4月17日「帝国憲法改正草案」を策定し、これを政府の憲法改正案として同年6月10日に開会された第90回帝国議会に提出したことは、歴史的な事実である。

しかし、英文のマッカーサー草案がそのまま日本国憲法になったわけではなく、帝国議会では衆議院及び当時の貴族院で審議され、それぞれの院で若干の修正なり、文言の挿入が試みられている。

GHQの同意がなければ如何なる修正も許されなかった、ということや、当時日本がGHQの占領支配下に置かれており、GHQの占領政策に反する如何なる言論も許されていなかった、ということからすると、確かに日本の憲法はアメリカが書いた、とか、日本の憲法はアメリカから押し付けられた憲法だ、という物言いが成立する側面があることは否定できないが、しかし、日本国憲法制定に至るまでのすべての手続きは帝国憲法改正の手続きに厳密に基づいているのだから、憲法の制定から70年が過ぎようとしている今日、改めて日本の憲法はアメリカが書いた、などと言われても、いやそれは違う、と言わざるを得ない。

日本側に根強くある押し付け憲法論を補完するようなバイデン副大統領の物言いで、つい反論したくなるが、今は、軽く受け流しておくくらいでいいのではなかろうか。

ご参考までに。