さすが自民党。死力を尽くして戦っているが、さて終わった後はどうするのだろうか | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

参議院選挙の延長上にこの東京都知事選挙がある、ということで、組織のバックがある方々はどうやら参議院選挙の本番中よりも一生懸命選挙運動に力を入れているようである。
組織政党と組織に属していない人との間の死に物狂いの戦い、という様相が徐々に濃厚になってきた。

目下、死力を尽くしているのは、自民党の方だと言っていいだろう。

個人演説会の会場を満員にするくらいは朝飯前、の人たちが揃っているだろうから、どこの個人演説会の会場も盛況で、応援弁士の方々の舌が格段に滑らかになっているようである。

動員されて集まった人たちの前だから、何を言っても許されると思って思いっ切り小池批判を展開しているようである。
多分一般の公衆の面前でそんなことを言ったら聴衆から罵声が返ってきそうなことを堂々と言っている。

選挙では滅多に相手候補の悪口は言わないものだが、自分たちがどうも弱そうだということになると相手候補の悪口を言いたくなるのが人情。
相手の悪口を言ったからと言って自分たちへの支持が拡がることなどあり得ないのだが、ついつい言ってしまう。

それだけ追い込まれているのだな、それだけ必死なのだな、ということがよく分かるが、こういうことは大体マイナスに働く。

個人演説会に溢れるばかりの人が集まっていても、皆どこからか動員されて集まってきた人たちだったら、この段階での個人演説会の開催には大して意味はない。
それだけの聴衆を集めた人は鼻高々だろうが、個人演説会に集まっただけでその後に何もなければ、結局は既存の組織票を確認しただけで終わる。
個人演説会に動員されて集まった人がそれぞれに選挙の闘士や選挙の運動員になって帰れば、選挙戦は格段に有利になるが、今回の都知事選挙でそんなことを個人演説会に来てくれた人に期待するというのは無理なこと。
個人演説会で応援弁士や候補者本人の話を聞いて洗脳されるような人は滅多にいない。

特別のカリスマ性を持った、扇動上手な人が話をすればコロッと意識を変える人が現れるかも知れないが、それほどのカリスマ性を持った人はいない。
個人演説会はいわば居心地のいい自分の家のようなもので、そこでどんなに評判が良くても外ではまず通用しない。

個人演説会への動員頼りの選挙は、手間暇の割には効果は少ない。

やはり、不特定多数が集まる街頭演説会が勝負である。
街頭演説会での聴衆が殆どいない、というのはそれだけ候補者には魅力がない、人を呼び寄せる力がないという証拠である。

まあ、こういうことは分かっている人は分かっているだろうが、それでも人は錯覚しやすい。
個人演説会にどれだけ人が集まっても、それだけでは現在の劣勢を跳ね返すことは出来ないのだから、これからの発言にはくれぐれも注意されることだ。
選挙の現場にいる人たちはついつい熱くなって言わずもがなのことを言ってとんでもないトラブルを起こしてしまうことがあるが、選挙の最中の相手候補への誹謗中傷などは言った本人を傷つけるだけで、実際には何の足しにもならない。

それよりも、個人演説会への動員を頼まれた人は注意しておいた方がいい。
動員して集まって
くれた人たちと一緒にどこかの居酒屋に行ってご苦労さん会などをやっていると、皆さんの後ろに警察の人がいる、などということがある。
動員のノルマを果たそうとして無理をすると、うっかりトンデモナイ選挙違反をやってしまう。
ご用心、ご用心、というところだ。