自分に甘い人たちが陥り易い過ち、の類だろう | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

起死回生策などはないのだが、それでもダメージコントロールはしっかりやる必要がある。

自信過剰な人は何でも自分でやろうとして時々大失敗する。
大抵の場合は誰かに責任転嫁して何とかその場を凌いでしまうのだが、舛添氏の場合はなかなかそれが上手く行きそうにない。
ここは、これ以上頭に血が上らないで済むような特別の工夫をするところである。

まずは、自分の自信過剰を反省すること。

虚心に自分を見つめるだけで、風景がガラッと変わることがある。
自分ですべてを処理しようなどと考えないで、腹を割って何でも話が出来る人に相談し、自分一人で処理できそうになかったら然るべき人に善後処理を任せてしまうことである。

とにかくエネルギッシュで、誰にも負けないくらいのタフさを兼ね備えているようだから、胃弱になることも神経衰弱になることもないだろうが、こういう時こそたっぷり静養することがいいこともある。

政治団体の収支報告書は政治家の動静を探るための恰好の材料だ、という基本的なことについての認識が欠落していたのだと思う。

家族だけでの食事会の費用を政治団体の経理で落としてしまったのが、そもそものミス。
誰でもあり得るのだが、色々な領収書が溜まって、いざ税金の申告の時に税理士さんの事務所にそっくりそのままお渡しして、税理士事務所の方で経費に出来るものと出来ないものに仕分けをしてもらう、などということがあるのだが、舛添氏の感覚は中小零細企業の経営者や個人商店の感覚で政治団体の経理処理も自分の流儀でやってしまったのではないだろうか。

税理士事務所の方のチェックが厳しいと経費にならないものはどんどん弾かれていく。
これは経費になるものかならないものか、を結構丁寧にチェックするものだ。
しかし、大福帳なり家計簿だけで経理をしている個人商店の店主の方は、すべてをご自分だけの判断でやってしまうかも知れない。

税務署の方は大体は収入の脱漏に注目しているから、税務調査がなされる時以外は経費の一々にまでは目が届かない。
税金の場合は申告主義だから、税務署の方が指摘しない限りは事実上申告通りに通ってしまうものだ。

この感覚を政治団体に持ち込んでしまうと、大変なことになる可能性がある。
家族だけでの食事会を政治団体の会議費として処理してしまうから、公私混同だということになってしまう。

田母神氏の政治団体のケースで皆さん、それなりに学ばれていると思うが、多分、舛添氏の場合も沢山ある領収書の仕分けの段階で間違えたのだと思う。
政治団体の経理で処理しようとしたのがどなたか知らないが、領収書の内訳が会議費になっていたとしても、本当にこれを政治団体の会議費としてもいいのだろうか、ということに思いを致すべきだった。

週刊文春に記事を持ち込んでくる記者の方は、政治資金規正法に基づく政治団体の収支報告書の記載のチェックに長けているようだ。

多分、著名人、有名人は政治団体の設立に関与したらすべてターゲットになる、ということを覚悟しておいた方がよさそうだ。
舛添氏なり舛添氏の経理事務担当者の方々は、この辺りのことについてずいぶん無頓着だった、ということだろうと思っている。
私自身は舛添問題は深入りしないと宣言したばかりだったが、どうも舛添バッシングの火の手は当分収まりそうにないな、と思い始めたところである。

他山の石、という言葉がある。

政治に関わろうとする人たちが学ばなければならないことが、実に多そうである。