自衛隊の存在を憲法に明記することに賛成だが、問題はその先にある | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

集団的自衛権ならぬ国際的集団的攻撃権を正当化するための憲法改正ならばちょっと待ったー、と声を張り上げるところだが、事実上合憲の存在と国民の大多数が認めている自衛隊を憲法の明文の規定で確認する程度の憲法改正というか憲法の修文程度ならやって結構だろう、合憲だとみんな認めているものを合憲だと言って何が悪い、と開き直るところだ。

自衛隊の存在を違憲だと主張される憲法学者の方々からすれば、これは憲法の改悪で絶対に認められない、憲法改悪反対!ということになりかねないが、自衛隊を合憲の存在だと見做してきた普通の人たちからすれば、ノープロブレム、ということになる。

社民党や共産党の方々には到底受け容れらないことだろうが、私は自衛隊は合憲の存在だということをしっかりと憲法に規定したいと思っている。

自衛隊を合憲の存在だと見做すことに対する異論が憲法学者を中心に学会や世論に根強くあるからこそ、国民的合意を獲得するために、あえて確認的に憲法の改正手続きで自衛隊を憲法の明文の規定に書き込もうという試みである。

自衛隊の存在を憲法の明文の規定で認めてしまえば、そこで自衛隊が変質する、それこそ、そこから日本の憲法法制や憲法秩序が大きく変質することになることになって、自衛隊の存在が危険なものになってしまう、などという議論は出てくるだろうが、私の意見はあくまで自衛隊は今のままの自衛隊であって欲しい、自衛隊の変質までは想定しない、という議論である。

中身が変わらないのであれば今のままでいいじゃないか、という議論もあるだろうが、私は出来るだけ国民の現実の理解に即したような表現がいいだろう、という考えである。
自衛隊を国防軍だとか自衛軍と言い換えるようになってしまったのでは明らかに自衛隊は変質してしまうが、私はそういうことには反対である。

見当もつかないような未知の世界に何の備えもなく足を踏み入れるようなことはしたくない、させたくない、というのが私の正直な思いである。

自民党の現在の憲法改正草案には、日本の国を見当もつかない未知の世界に導いていくような要素が感じられるから、私は賛成できない。
極めて制限的だとは言っても、集団的自衛権ならぬ国際的集団的攻撃権を内閣による憲法解釈の変更で容認する方向に舵を切ってしまった自民党安倍内閣に対して、私が時々苦言を呈しているのも似たような理由からである。

このもやもやしたところを、いつかは解消したい、いつかは解消してもらいたいと願っている。

誰がやってくれるだろうか、いつやってくれるだろうか、と思っているが、今はまだその時ではなさそうである。

少なくとも、今の自民党ではない。