なんだか絶望されているような書き込みをご自分のフェイスブックに書かれていた方がおられた。
あれ、なんでこの方はこんなに意気消沈されているのだろうか、と気になった。
自分一人で東日本大震災の直後から東北に行ってのボランティア活動を続けてこられたようだが、どうやらどなたかから心無い中傷でも受けられたのだろう、とにかく絶望されているような思いをご自分のフェイスブックに吐露されていた。
何かの時にともだち申請があり、承認のクリックをしていたのだが、個人的にはまったく存じ上げない方だったが、その文面を見て、ああ、これは何か大変なことになっているのだな、と気にかかって仕方がない。
放っておくのはよろしくないと思って、連絡をしてみた。
この文章は、削除します、と予め書かれていたので、普段は絶対に明かさないご自分の本当の心の内を曝け出されたのだと思う。
誰にでもそういう瞬間があるのだが、そういう時に誰かが手を差し伸べると本人が助かる、誰も手を差し伸べないと本当に絶望してしまうということがある。
私以外にもご本人に何かのメッセージを送られた方が沢山おられたようだ。
数日して件の文章は、予告通りに削除されていた。
今、目にしているのは、多くの人から様々な激励のメッセージが来て、ご本人が一時の気の迷い、一時の気の弱さをすっかり克服されて、様々な活動を元気に展開されている様子である。
一人でコツコツと続けてこられたボランティア活動を正しく評価してくれる人が沢山いた、ということだろう。
どんないいことでも、誰からも評価されないと続けることは難しい。
5年近く頑張ってきて、それこそ自分の趣味でやっているのだろう、ぐらいの冷たい言葉を浴びせかけられたら誰でも心が萎えるものである。
一人で続けるというのは、実に難しい。
ああ、これ以上やっていても誰も認めてくれない、ということになったら、もう続けるのは止めてしまおうか、という心境になってしまうのは自然のことだ。
その瞬間の、自分の気持ちを人前に正直に曝け出されたのだろう。
まったく縁のない方の一文であったが、実に気になった。
しかし、今は、多くの方からの暖かいメッセージや具体的な支援や協力の申し出を受けられてすっかり元気を取り戻されたようである。
ありがたいことである。
継続は力なり。
見ていないようで、結構人は見ているものである。
結局私は未だにその方のために何もしていないが、縁がある方がそういう心の叫びのような声を上げたら、連絡だけはしようと思っている。
あなたは、決して一人ではない、ということを伝えるために。