最後の20歳成人式? | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

成人の日そのものを残しておくのはいいが、市町村主催の成人式を今のまま続けた方がいいかは思案のしどころである。

何のために自治体が成人式を主催するのか、という意義を考える必要があるだろう。
成人の日は、子どもが大人になる大事な国民の祝日だ、と思われる人もいるだろうが、別に成人の日に20歳の誕生日を迎えるわけではないから、必ずしも成人の日に成人式を開催しなければならないことはない。

子どもがいよいよ大人の仲間入りをするということは実に嬉しいことだが、しかし、現実には20歳になったからと言って本当に責任ある大人の仲間入りをしたわけではない。
20歳になる遥か以前に大人になったと思うような若い人もいるだろうし、20歳という年齢に達したことは間違いないのだが、とてもとても大人とは言えないような未熟そのものの若い人もいる。
ああ、まだ幼いな、と思うような言動を平気で繰り返す人たちを大人だ、成人だとは呼びたくない。

若い方々のために何らかのお祭りの場を設けるのはいいが、それは必ずしも従前のような決まりきった成人式ではない。

多分現在の成人式は社会人教育の一環として行われており、市町村の教育委員会辺りが開催プランを練っているのだと思うが、そのこと自体検討した方がいい。

何のために自治体が成人式を挙行するのか。
多分、成人になると選挙権を行使できるようになるからで、新成人に主権者としての意識を植え付けるためだろうと思う。
首長はじめ市町村議会議員が揃って成人式に出席するのは、新しく選挙権を取得した新成人に対しての挨拶、顔見世のためだと思っていた方がいい。

「新成人の皆さん、よろしく。あなたたちが主権者です。私たちは貴方たちのために一生懸命働きます。」

さすがに、貴方たちのために一生懸命働きますから、選挙の時はよろしくお願いいたします、などとは言わないだろうが、成人式に参列する首長や議員の胸の内にはそんな思いがあると思っていた方がいい。

まあ、成人式に出席する若い方々は、成人式での挨拶など謹聴することはなく、早く挨拶が終わらないかな、などと式の後の懇親会や仲間との語らいの方に気もそぞろで、成人式でどんな話がされたのか、誰が挨拶をしたのかなどということについては殆ど覚えていないというところだろうが、主催者側は結構真面目に成人式を捉えているものである。

そういう真面目に成人式を設営している人たちの立場からすると、成人式はもっぱら新しく選挙権を取得した人たちに対する自治体主催の歓迎の式典みたいなものになる。

成人式の在り方を見直した方がいいかな、と思うのは、実はここにある。
今年の参議院選挙から18歳選挙権制度が実施されるのだから、新しく選挙権を獲得した若い方々の歓迎式典が成人式だということになると、20歳成人式は今年で最後だということになる。

各地で立派な成人式が行われたという報道もあるが、その逆に荒れた成人式もあったようだ。
未熟な若者たちが成人式で狼藉三昧だった、というニュースを見てしまうと、そんな成人式なら止めてしまったらどうか、という思いが沸々と湧いてくる。

成人式は何のためにあるか、ということをそれぞれの自治体で問い直した方がいいだろう。

私などは、選挙権を取得した若い方々に主権者としての確固たる意識を持ってもらい、早く本当の大人になってもらいたいと思っているから、成人式をするのなら18歳で選挙権を新たに取得された方々を対象にした方がいい、と思っている組だが、世間では必ずしもそうではないかも知れない。

何にしてもそういったあたりのことを十分認識して来年以降の成人式の在り方を検討されるのがいい。

なお、ブロゴスのコメント欄を読んでいたら、凄い一文に接した。
まったくその通りだと思ったので、皆さんにもご紹介しておく。

以下、ブロゴスのコメント欄より引用:

「Kotaro Hanawa

今年成人を迎えるものです。 成人式を18歳にするのは成人年齢が18歳に引き下げられる時でいいと思います。また成人年齢を引き下げる前に、いくつかのコメントにあったように大人になるための教育を改める必要があると思います。私は帰国子女で中学一年生までアメリカのコネチカット州に住んでました。私が帰国して驚いたのは、日本の学校は大人になるために必要な知識や教養をほとんど教えないことです。私が住んでいたアメリカでは、小学校4年生で自分でレモネードスタンドを作り限られた資材から利益を作るという授業がありました。私の住んでいた町では模擬選挙や政治についてのディベートが必修科目のうちに含まれていました。中学高校を卒業するにはボランティア活動が必修のところがほとんどです。大人として生きていくために必要不可欠なことです。それに対し日本の学校では法律やそれに関連した教育は公民の授業に限られます。私は成人年齢引き下げの前にここからするべきだと思います。私は人のせいにするのはあまり好きではありませんが、少なくとも海外の基準を知っている私からすると日本の子育てには大きな課題があると思います。少なくとも義務教育が終わる15歳までには半人前の大人として扱える程度に社会の供用を学ばせそこから徐々に大人として扱えるようにするべきだと思います。成人年齢の引き下げはそれから考えるべきです。

大学に入学してびっくりしたのですが、大学でも成人に向けての教育はしないんですね。結局日本独特の「察してください」文化の名残なのでしょうか。」