このまま鳴りを潜めていれば立派なレガシーになる | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

いつまで沈黙を続けていられるだろうか、と興味津々で見守っているが、目障り、耳障りになりそうな言動は一切聞こえてこないから、さすがだなあ、と感心している。

開票日の記者会見に同席しなかったのは当然のことなのだが、有頂天になっているとついつい勘違いしてどこにでも出張ってきてしまいそうなのが凡人の浅はかなところで、ここは自分の出番ではないと覚ったらさっさと裏口から退場したあたりにこの人の非凡さが現れている。

主役の座を見事に後継者に引き渡した、あるいは引き渡そうとしているという証左である。

聴衆の魂を揺さぶるような名演説を残して去ったようである。
どんな名演説でも、壊れたレコードのように何度も何度も聞かされてしまうとどうしても感銘力が薄れてしまう。
名演説を名演説として残すためには、1回こっきりがいい。
名演説を名演説として記録に残すのは、これを聞いた聴衆である。

伝承者がいればいい。

幸い私のブログの読者の中には、そういうことだ出来る方がおられるようだ。
橋下徹氏は語らないが、橋下徹氏の名演説を聞いた方がこれを拡げればいい。

青年よ、大志を抱け。
Sei mutig!
国が諸君のために何が出来るかを問うのではなく、諸君が国のために何が出来るかを問うて欲しい。
etc.

ツイッターで無用な呟きをする必要がなくなったということだろう。
実に静かである。
ブロゴスにも一切登場しない。

いやあ、立派なもんだ、と溜息をついているところである。