多少行き過ぎかな、ちょっと困ったな、と思うような出来事があっても、私はこれまで歩んできた自分の歩みを全部否定するようなことはしない。
戦後の日本の歩みは私自身の歩みだと思っているから、私は戦後日本の歩みを全部否定するようなことはしない。
戦後の民主主義教育の功罪についてあれこれ云々する方々がいるが、私は、たとえ多少の不具合があったとしても戦後の男女同権、基本的人権尊重、平和主義に立脚した民主化教育を基本的に支持している。
人は、ときどき自分を全否定したくなる時がある。
何故、そこまで自分を否定しなければならないのだろうかと思うほどに、厳しく自分を責め、自分の存在を成り立たしめているすべての仕組みや制度に激しく弾劾を加えることがある。
東大解体を訴える全共闘運動などは、その最たるものだったろうと思っている。
既存の秩序、既存の制度、既成の権威、その他の自分を取り巻くあらゆるものを否定しようという衝動に何故若い方々は駆られるのだろうと思うが、私が東大の学生だった頃は結構純粋な若者が全共闘運動に参加したり、全共闘のシンパになっていた。
勿論、共産党に魅かれたり、民青の活動に参加する若者もいたし、私のようにいわゆる良識派の学生を名乗って全共闘や民青とは一線を画した活動に参加する者もいた。
全共闘の活動に参加した学生は総じて頭がよく、かつ純粋な人が多かった。
殆どの人はその後転向して普通の人になってしまったが、私は転向した人を含めて、すべての人を受容してきた。
誰をも拒絶しない、誰をも排除しない、というのだから、寛容といえば寛容、不徹底といえば不徹底である。
しかし、これが、いわゆる穏健保守の原型だろうと思っている。
一応どんなことにも耳を傾け、どんな相手にもそれなりの敬意をもって接する。
これが、私である。
自民党の若い国会議員が自分の無知や非常識を曝け出すような言動を繰り返していることに対して早川さんはどう思うか、という質問が寄せられた。
私の感想は、ただ愚かだな、未熟だな、と思うだけだ。
こういう未熟な人、愚かな人、勘違いしている人を選ばないようにしてくださいね。
そう、皆さんにお願いするだけである。
教育現場で起きている様々な不具合を是正するための様々な取り組みは評価するが、戦後の教育を否定し、根底から覆そうとしているのではないか、と思われるような試みには私は反対である。