私の周りでは、皆、修業を自分の楽しみにしてい | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

いつになってもこれでいい、これでお終い、とならないのが、私の人生である。
修業中、という看板を背負って一日、一日を過ごしているようなものである。

私の家族も同じようなものだ。
皆、修業中の看板を掲げている。
私の周りの若い人たちも同じである。
皆、修業中の看板を掲げている。

これでいいのだと思う。
どこまで行ってもこれでいい、これでお終いにはならない。

普通は、何らかの成果を出してからこれを楽しむものだが、私や私の家族、私の周りの若い人たちは修業そのものを楽しむ。
修業は、何らかの意味で苦労である。
修業を楽しむということは、すなわち苦労を楽しむということである。

苦労を楽しむことが出来る人ばかりだから、私の周りには幸せな人ばかりいる、ということになる。

修業だと思えば、失敗を恐れなくなる。
修業だと思えば、結果が不首尾に終わったからといって、自分を不幸だと思わなくなる。
能天気な人が揃っている、と言えばそのとおりなのだが、能天気な人はどんなマイナスもプラスに転換できる特殊な能力を持っているから、決して悪いことではない。

今回の選挙が不首尾に終わった人は、是非私の周りに集まってもらいたい。
きっといいことがあるはずだ。