私たちは、沖縄の人たちの声に応えることが出来るのだろうか | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

私が知っているかつての自民党の長老たちは沖縄の人たちの心にどう応えるか、ということを常に考えていたように思う。

どうしても何か決めなければいけない時は、如何にもそれが苦渋の決断のような雰囲気を漂わせて、かつ、その決断が決して沖縄の人にとってはマイナスではないということを分かってもらえるような配慮をしていたと思う。

辺野古沖での米軍基地の新設だけを捉えれば如何にも沖縄県の人たちの願いを踏みにじるような印象が出てくるかも知れないが、これはあくまで普天間基地移転を実現するための止むを得ざる選択だということになると、いずれは沖縄の人たちも理解、納得、我慢をしてくれるのではないか、と期待はしているが、しかし現実にはなかなかそうはならない。

菅官房長官と翁長沖縄県知事とが会談したことはいいが、しかし落としどころがない話である以上、いくら会談を重ねてもどこまでも平行線だろう。
安倍総理が翁長沖縄県知事と会談したとしても、結論が変わらない以上同じことになる。

さて、どうするのがいいのか、ということを考えて、日本で最も祈りの思いが強い天皇陛下に言及した一文を書いておいた。

受け取り方によっては天皇の政治利用のススメになってしまうだろうな、と思いながら書いた一文で、読者の方々の反応を窺っていたら、これまでは大した反応がなかったが、先ほどこの一文は削除して欲しい、という要請があった。
まあ、この一文はさすがにまずいだろうな、一読したらさっさとゴミ箱に捨ててもらった方がいい一文だと思っていたから、早速削除させていただいた。

私の雑文の中には時々こういうものが混じっている。
悪しからず。