極めて当然だが、決して容易ではなかった司法判断、と評した郷原弁護士に脱帽 | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

郷原氏のこの一文に敬意を表したい。

公判の最中に郷原氏がご自分のブログに書き連ねておられたことは如何にも戦いの最前線にいる戦士のようで、ここまで苛烈に検察批判、検察官批判をして大丈夫かしら、言葉が走り過ぎてどこかで落とし穴に嵌まってしまう虞はないのだろうか、裁判所の判断が自分の思いとは違ったものになってしまった場合に、弁護人の弁護活動としての限界を超えているといって批判される材料を作っているのではないか、などと思ったものだが、今日の郷原氏の一文は、判決言渡しに至るまでのご自分の心境を実に素直に吐露されており、同じ法曹として共感する。

弁護人としては無罪を確信していても、本当に裁判所が無罪判決を言い渡してくれるか判決が言い渡されるまで不安で堪らない。

大丈夫か、本当に大丈夫か、と何度も自分に問いかけて、その都度大丈夫だ、大丈夫だと自分で答えながら、その直後にまた本当に大丈夫かしら、という問いが自分自身の心の中から湧いてくる。
外見は如何にも落ち着いて見えるが、決して平常心を常に保っているわけではない。

入学試験の合格発表や司法試験の発表、選挙の当落の発表を待つようなものである。
まあ、選挙結果については事前の世論調査で大体は分かっているから、本当はそれほど大したことではないが、入学試験や司法試験の発表はそれこそ一点差で決まることがあるから、合格ラインすれすれの人にとってはとても心穏やかにはいられない。

自分のしてきた弁護活動に絶対の自信があり、審理の過程で示された裁判官の一挙手一投足から無罪判決を確信してこられたという郷原弁護士でも実際には相当の不安に襲われておられた、ということだから、この度の美濃加茂市長の無罪判決が普通では如何に得難い判決だった、ということがお分かりになるだろう。
担当検察官が有罪を確信していると豪語していた、と言われる受託収賄被告事件についての無罪判決である。

駱駝を針の穴に通すのと同じくらいに難しい事件だった、と言っていいのだろう。

極めて当然だったが、決して容易ではなかった無罪判決だ、と正直にご自分の感想を述べておられる郷原弁護士は、実に謙虚である。
常に正義の刃を振り回す、いわゆる正義の弁護士には時々付いていけなくなる思いがするが、こういう素直に本音を語ってくれる謙虚な弁護士には共感を覚える。

郷原弁護士に、お疲れ様でした、おめでとうございました、と申し上げておきたい。