選挙管理委員会に届け出のない団体の政治活動や文化活動の考え方 | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

政治結社は選挙管理委員会に届け出なければ政治活動が出来ないかと言えば、そうではない。
日本には政党法も政治団体法もないから、政治活動をするために政党を作るのも政治団体も作るのも基本的に自由ということになる。

法律で禁止されているのは、政党や政治団体が選挙管理委員会等への結成届をしないままに政治活動のために寄付を募ったり、政治活動のための支出をすることである。
勿論、寄付を募ったり支出をすることについての届け出までは求められておらず、求められているのはあくまで政治資金収支報告書の作成と提出だけである。

政治団体でないいわゆる一般の文化団体が政治活動のための寄付を集めたり政治活動のための支出をすることは、当該文化団体の目的外の行為になるから当然認められないが、万一文化団体が政治活動のための寄付を集めたり政治活動のための支出をすれば、政治資金規正法違反にあたるから当然処罰の対象になる。

下村博文氏の関係する文化団体と言われる「博友会」なる任意団体が下村博文氏を講師に招いてセミナーを開催したことが現在喧しく取り沙汰されているが、セミナーの開催自体は文化活動の一環だと思われるので、最終的には大きな問題にはならないように思われる。
政治活動と文化活動の間の線引きをどうするのか、という問題はあるが、文化団体がこれは文化活動だと認識しているのであれば、いやそれは違う、とまでは言えないと思う。

一般的にセミナーの開催はどこに行っても文化活動の範疇だと思う。

その逆に、政治団体がセミナーを開催した時に、これを文化活動だとして政治団体の本来の政治活動と切り離すことが妥当かどうか、という問題がある。

国会議員の後援会が観劇会などの行事を行っている時に、これをあくまで文化活動だからと言って、その他の政治活動と切り分け、その結果として文化活動についての収支の報告を政治資金収支報告書から外しても構わないか、という問題である。
観劇会などは本来文化活動じゃないか、というのが基本的な私の認識なのだが、政治団体が主催すればやはり政治活動の一つに分類すべきだろう、ということになる。
いずれは小渕さんの後援会の政治資金収支報告書の不実記載問題が浮上してくると思われるが、まあ、政治団体である小渕後援会が主催したのではアウトでしょうね、と予め申し上げておく。

それでは、任意団体と言われている下村博文氏の関係団体である博友会のセミナーはどうか。

文化団体である博友会のセミナーだったら、やはり文化活動でしょう、と言うことになる。

国会議員の下村博文氏を応援する団体だから当然政治団体でしょう、と仰る方がおられるが、特別の政治活動をすることを目的としていないのであればあえて政治団体と位置付ける必要はない。
博友会の名称を冠している団体がいくつもあり、その中には政治団体としての届け出をしているものもあれば何らの届け出もしていない団体もあると言う。

まあ、同じ名称を使っていても、当事者が政治団体だと認識して政治活動をしているのなら政治団体だろうし、当事者に政治団体としての認識がなく、現にそこまでの実態がないのであれば、政治団体とは言えない、という整理でいいのだと思う。

こういう議論をすると、なんだか要領が得ないな、狐につままれたようだ、という感想を持たれる方が多いだろう。

多分、下村氏の問題もまもなく終息するはずである。
一連の政治献金問題で如何にも下村氏が絶体絶命の窮地に追い詰められており、文部科学大臣の辞任が必至だ、などという夕刊紙の報道が飛び交っているが、私にはどうもそうは思えない。

下村氏が内閣官房副長官時代に私の選挙の応援に駆け付けてきてくれた、とか、私が衆議院の法務委員会の理事当時、下村氏が法務委員長で、下村氏とは特に親しかったから、というわけでは必ずしもないが、政治資金規正法の改正問題についてしばらく自民党の実務担当責任者の一人であった者として、このあたりで一言述べておくことにする。

相変わらず方向違いの、頓珍漢なことを言っている、などと青筋を立てて怒ってくる人もおられるかも知れないが、下村氏の身近にいたものとしていつまでも口を噤んでいるのはよくないだろうと思って、あえてマスコミの報道ぶりとは違った観点から書いてみた。